友達としての父、ライバルとしての母

父はおそらくENTPで、母はISTJかISFJ。
その二人と私との関係性のお話。


友達としての父

記憶は全く無いが、1〜2歳の時から私はパパっ子だったらしい。当時の父は激務過ぎて平日はほぼ会社で寝泊まりしていたはずなのに、休日だけ居る謎のオジサンに非常に懐いていた。おしゃべりモンスターの私とずっと会話し続けてくれる父。博識で、何でも答えてくれる父。休日は美術館に図書館にと、知らないところへ連れて行ってくれる父。私は「父親と洗濯物分けてよ!」みたいな気持ちになったことが無い。これだけ聞くとまさに理想の父親像なのだが、父はどこまでもENTPであった。

まず、娘の前でも平気で不機嫌をあらわにする。極度のせっかちなので、料理の提供が遅かったり、不本意に人混みに巻き込まれたりするとすぐに不機嫌になった。娘ながら「そんなに怒ることでも無いじゃん」と冷めた目で見ていたのを覚えている。

次に、これは一般のご家庭にはおそらく無いことだと思うが、父は自らの性の話題に一切の躊躇が無かった。下ネタは一切言わないのだが「〇〇はやっぱり俺に似てるな、まぁ、母さんとセックスしたから出来たんだし当たり前かー」みたいなのを真顔で言う。過去の女性遍歴も、母との馴れ初め(路上でナンパ)も聞いたことがある。「(性欲を)タブーにして溜め込むから気持ち悪くなるんだよ、軽く言えば軽く済むのに」がモットーらしい。生粋のナンパ男である(ちなみに、既に還暦を超えているが趣味は脳内ナンパ。ボケてきたら捕まる前に私が介錯しようと思う)。

そしてそして、時間とお金にもルーズだった。他の家庭よりも可処分所得は多かったはずなのに、本人は常に金欠で、家計を管理していた母と離婚した後は家賃の未払いやライフラインが止まることもしょっちゅうだった。大学に入ってからは、出張代が立て替えられないと泣きつく父に私のバイト代を貸したこともある。

結果として私は父のことを、「私を愛してくれているし、非常に面白いが、人間としてはクズ寄りの友達」として認識するようになった。嫌いではないのだが、親としての一切の振る舞いを期待しなくなった。面白い友達。父も父で、私に対して泣きついたり、私の前で失態を犯すことに躊躇が無かった。二人してNTだからか、一般的な親子の型にはまることが出来なかったというのが近いかもしれない。

今でも二人で食事に行く程度には仲は良好である。疎遠な友人くらいの温度感ではあるが。


ライバルとしての母

エレクトラ・コンプレックスとか、そういう話ではなく。私から母にというよりも、母から私に向けられていた感情の話になる。一言で言うと、母は私に嫉妬していた。父からの愛情云々ではない。私の性格と、人生に嫉妬していた。

母は四人兄弟の末っ子で、四人の中で一番大人しかったらしい。いわゆる末っ子ポジションは3番目の姉が独占していて、自分は忘れられていたとよく話していた。時代がそうさせたのか、子供の数が多かったからなのか、大学に行かせるお金は無いと言われ、高卒で働いた。上京した先で父と出会い、早めに結婚・出産。
自分のようにはさせまいと、子供は一人までと決めていたらしい。堅実な母らしい考え方で、計画通りに着々と人生を進めていただろう。――生まれた子供が生粋のINTxであったこと以外は。

生まれた子供に最大のリソースを割く母。お下がりが嫌だった母は、私に必ず新品の子供服を着せた。虫歯を親に放置された事を恨んでいる母は、私には早い時から歯科検診と矯正させた。良い大学に入れるように、小学校に上がった頃には娘に地元のトップ都立に行くように言いつけた。
母は私を通してやり直しをさせようとしていたのかもしれない。今振り返るとそう思う。ただしもう一度言うが、生まれた私はINTxだった………。

まず、可愛い服に一切興味を持たなかった。見た目を可愛くしようという意識もなく、着れれば何でもいいという考え。矯正はさせられたが、無理矢理だったため当時は感謝できなかった。痛いし、ヘッドギア恥ずかしいし。勉強だけは得意だったが、将来の為というよりかは自分の都合でお金のかかる私立に入った。

母は、自由に生きる私を愛しながらも、同時に嫉妬をしていた。自分と違ってのびのびと、自由に、ワガママに育っていく娘を見て、それはもう強烈に。SとNとの対立とも言えるかもしれない。母は「S型の可愛くて成功した女子」像を追い求めたのに、それは環境のせいで得られなかった。対して私は、恵まれた環境に居たにも関わらず、N型ゆえにその世俗的な成功に欠片の興味も示さなかった。これが母の神経を逆撫でしたのだ。でも同時に母は私を愛していたので、誰にも溶かせないドロドロとした感情が私にぶつけられることになった。私は母が非常に苦手だった。母はライバルであり女友達だった。

なお、母とは既に絶縁済である。


さて、以上が両親との関係。ここから言えるのは、私が親のモデル像を知らないということ。親と友達、あるいはライバルだった私は、「親に頼る」とか、「親なんだから」「大人なんだから」みたいな気持ちがスッポリと抜け落ちた人間になってしまった。

断っておくが、両親を「毒親」等と断罪するつもりはない。私はこの言葉が非常に嫌いである。一種類の言葉でしか表されない存在は、いずれその解像度を失ってしまう。両親それぞれを個人として受け止め、理解するなら、このたった二文字で表すのは適していないと考えている。あと、今の私は一応ちゃんと大人になれているので、両親の子育てはそれで成功なのだ。それでいい。

ただ、もしこの先子供を授かる事になったとき、私はどうなるんだろうか……一抹の不安がある。すべてを知りたいINTxと、その家庭ごとのケースしか経験・知ることが出来ない子育てとの相性が悪すぎる。何で家族って1パターンしか知ることが出来ないんだ?パターン分け・訓練出来ないことをぶっつけ本番でやれと?冗談だろ?という気持ち。パートナーがいれば2パターンになるじゃないという話だが、それでもサンプル数が少ないって。n=30くらい寄越せ。信じられない。

ばいばい。

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