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テキストサイトの思い出

今でこそ、noteという公共の場で自分の頭に生えた雑草を並べて遊んでるような僕であるが、その昔。いわゆるブログ。ネットの文章。その面白さを教えてくれたのは、テキストサイトの、伝説の文士達であった。大学の視聴覚室的な。デスクトップパソコン使える部屋で、サイトを見つけた。僕は、死ぬほど面白いその文章達を、手当たり次第、何日も授業をサボって読み潰した。いろいんなサイトがあったが、骨身に染みて血肉になるほど覚えてるのは2人。フミコフミオさんと、肉欲企画さんであった。社会人になって知ったのは川井俊夫さん。素粒社から本が出た。こんなところで、勝手に言うのもアレだけど、よかったら検索してみてください。大学で読むには相応しくない激烈な下ネタ。物事の本質を痛快に切り取った遠慮の無い言説。極上の言葉遊びとユーモア。異常な執筆スピードと更新頻度。村上春樹とか太宰治で育った優等文学青年な僕に「文章で爆笑できる」ということを教えてくれたのは、横書きの、インターネットの文章だった。リリーフランキーも、みうらじゅんも好きだったけど、もっと、ぜんぜんスゴイと思った。今でも思っている。原稿料とかを貰うわけでもないのに、誰に頼まれるでもなく、世界に向けて、ペンネームで自由に好き勝手しゃべり散らしてるのが非常にロックンロールであった。僕の好きだった路上ミュージシャンにも似て、飼い慣らされない、やさぐれた、剥き出しの野生的な文章であった。怒りなのか悦びなのか。彼らのサイトはエネルギーに満ちあふれていた。こんなのアリなんだ…と視界がひらけた。少しでも彼らの真似がしたくて、mixiに文体をパクって何度も日記を投稿した。いまでこそ、ネットの文章なんか流行らないが、当時はmixiが覇権をとり、誰もがネットで日記を書いていた。僕の好きな時代であった。しかし僕の尊敬する文士たちは、その遥か前からテキストサイトの文化を担ってきたのだった。じきに、facebookやTwitterがきて、ネットの文章はどんどん短くなっていった。好きなミュージシャンも、それまでは詩のように美しいブログを書いていたのに。Twitterを始めてからは「あざっす!ライブもよろしく!」みたいなことしか言わなくなった。言葉が蓄積されず、細切れになって安売りされていった。僕は悲しかった。動画が簡単に投稿できるようになって、更にショート動画になると、誰もネットで文章なんか書かなくなった。僕だって書かなくなった。mixiも過疎化したし、facebookに長文を公開してもキモがられるだけだから。1人でノートにペンで文章を書いていた。しかして、数年前、フミコフミオさんが文章についての本を出した(フミコフミオさんのブログは今でも更新されてる)。内容に大いに励まされた僕は、ファンレターを送り、温かい対応をいただき、時間が経って、またこうして文章を書き始めた。僕が読んできた伝説の文士たちには遠く及ばないが。そもそもネットで文章を書く、という行為の楽しさ。可能性を教えてくれたことに感謝しつつ。あのワクワク感を胸に抱きつつ、文章を書いている次第であります。僕の文章に改行がないのは、フミコフミオさんのエイキョーです。1335文字

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