毒母親の夫、父
弟が生まれた頃、今でいう2年保育の年中から自分は幼稚園に入園した。
入園のための面接も、兄が入園しているから許可がおりたが、
4歳まで自分は一言も口が聞けなかった。
この生育歴がのちに自閉症スペクトラムだと診断された所以だ。
毒母親は弟の出産で入院中であったため、父親が入園式に参加した。
毎日帰宅が深夜の父は、子供の扱いに慣れておらず、激しく泣き叫ぶ自分に対して辛かったようだ。のちに毒母親にこのことをなじられた。
尊敬する父。昭和一桁生まれで、戦争を経験している父は大変我慢強い、
寡黙で堅実な人間だ。
兄弟の多い次男に生まれ、歳の離れた双子の弟の大学の費用を出してあげていた。
最難関の国立大卒、一級建築士だった父は、なぜこんな毒母親と
結婚したのか疑問でならない。
頭脳明晰、寡黙で無口な父は家庭の中でも仕事一筋で、子育ては無職の
毒母親に全て任せていた。父はやかんでお湯すら沸かせない、もちろん兄や自分のご飯など作れない。
弟の出産で家を空けていた期間は、毒母親の妹が通ってくれていた。
どこの子供もパパやママが大好きであろう。
自分は幼少の頃から、祖母(毒親のバカ親)や毒母親からけなされ、
父は今となっては尊敬をしているが、幼少時は会話もしたことのない、
静かで神経質な人という印象だった。
子供の頃から自分は居場所がなかった。
父は神経質だが、団地生活で個室など当然なく、自分の座席スペースだけが空間だった。その周囲だけは自分で綺麗にしていたが、他のエリアは無職の毒親の独占場。
掃除ができず、衣類や本は山積み。
毒母親は読書が趣味で自分が幼少の頃から、大量の本を買い込んでいた。
オール讀物、週刊新潮など、言葉遣いがめちゃくちゃな毒母親は、本当に文章を理解して読んでいるのか疑問でならない。読書が趣味というステイタスが毒母親は自慢だったらしい。自分のことを教養があるとか平気で人に言う人間だった。恥ずかしいからやめてほしいと感じていた。
そんな新聞やら雑誌やらでぐちゃぐちゃ、万年床、虫もよくいた。片付けのできない人間、それが毒母親だった。
専業主婦であろうがなかろうが、時間が無限にあっても、
部屋を綺麗にしたり、床屋窓を拭いたり、一才しない、というかできないのであろう。
それは自分も遺伝をしてしまっている。
父の頭脳や性格などは全く引き継ぐこともなく、悲しいかな、毒母親の容姿、声、片付けができないところなど悪いところばかり遺伝をしてしまった。いとかなし。