『我即神也』
すべての不安や恐れ、ネガティブ思考は自分が何者なのか?がわかっていないことから始まる!
「みにくいアヒルの子」は、アンデルセン原作の童話ですが、真理を物語っています。
私は、自分はアヒルの子だと思い込んでいた、醜い、汚い、のろま、何をやっても失敗ばかり、周りからも疎んじられ、居場所を失いかけていた。自暴自棄になっていた。
そんな時、遠くの湖を見るとそこには、美しく神々しい「白鳥」が🦢、まるで舞台の上を舞うように羽ばたいていた。
「綺麗だ、なんて美しいんだ」
アヒルの子は、羨望の眼差しでうっとりと見ていた。
その時、自分はアヒルでも白鳥のように立ち振る舞おう、もうこんな惨めな自分は嫌だ!と決心したのです。
そして、水面(みなも)に目を落とすと、そこにはアヒルではなく、本当の自分である白鳥(神)が映っていた。
そうです。人間はアヒル(肉体人間)ではないのです。
肉体の自分は仮の姿
本当の自分は、完璧、欠けたるものなし、神の子、神(我即神也)だったのです。
自分が何者であるか?が心の底からわかったとき、景色は一変します!
すべては、プラスから出たマイナスだったと、きづくのです。
これまでの人生は、そのことに気づくためのプロセスだった
悲惨なプロセス(過去)も全てプラスに変わるのです!
序文
究極の真理は、多くの人々の無知と迷信により、何世紀もの間、人類の心から忘れ去られてしまっていました。
また、長い間、権力者の手によってねじ曲げられ葬り去られ、人々の前から消されてしまっていました。
その究極の真理〝我即神也〟が、幾多の星のようにきらきら輝き、突如この世に再び出現したのです。潮が満ちたように、真理の目覚めの到来であるかのように真理の霊音が高らかにひびく。
真理の鼓動が熱く脈打つ。
真理の光が走る。
真理の言葉が闇を引き裂く。
我即神也、私は本来神そのものであったのです。
そしてかつまた人類もみな一人残らず本来神そのものであったのです。
あなた自身が神であったとは!
信じられないでしょう。
わが目、わが耳を疑うでしょう。
〝こんな不幸な私が、こんな惨めな私が、こんな卑怯な私が、こんな汚れた私が、こんな無能力な私が、こんな嘘偽りの多い私が、こんな怠惰な私が神なんて!
そんなことあり得ない、そんなこと嘘だ〟
とそう思うでしょう。そう疑うでしょう。だかしかし、それは確かに真実なのです。
あなたは正真正銘神なのです。
今のあなたがたとえいかなる境涯に置かれていようとも、かつまた今のあなたがいかなる不平不満、執着、憤怒といった、あらゆる感情想念にふりまわされていようとも、そんなことは、あなたの本質とは全く関係ないことです。
あなたは本書を読み進めるうちに、今までのすべての迷いが一掃され、その真実に気がつくでしょう。
そして誰も彼もが神であることに目覚め、神そのものの姿を現わす時が必ず来ることがはっきり判るでしょう。
私たちは究極は神なのです。遂に私たちは我即神也の究極の真理を知るに至ったのです。
1996年11月
西園寺昌美