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日本人の生活に宿る神道との関わり

序章: 無意識に宿る信仰 - 日本人の神道的こころ

日本人は無神論が多いと言われることがあります。しかし、それは日本人の宗教観を表面的にしか捉えていない誤解です。
日本人は無意識に神道的な価値観を持ち、日常生活の中でそれを体現しています。海や山、川、道路、家、さらにはトイレの厠神まで、あらゆるものに神が宿ると考える。それゆえに、「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせる習慣が生まれ、感謝の心が根付いているのです。

これらの行為に、特定の神様への強制的な信仰はありません。しかし、日本人は困ったときには心の中で「神様助けて」と願い、お祭りや相撲といった伝統的行事を通じて、自然に神道と共に生きています。この無意識的な信仰こそが、日本人の精神的支柱であり、世界に類を見ない特徴だといえます。

第1章: 神道が生み出した文化の根幹

神道は日本の文化や生活の基盤に溶け込んでいます。
例えば、お祭りは元来神事であり、神々への感謝や祈りの形です。相撲も同じく、土俵を清め、勝者を称える中に神道的な儀礼が見られます。こうした神道が作り出す文化は、日本人の日常を豊かに彩り、その根底には「八百万の神々」が宿る思想があります。

日本の神道的世界観は「全てのものに神が宿る」という柔軟な発想から生まれる。それは自然と共生するための価値観を育み、感謝の心や清浄さを尊ぶ生活スタイルを形作っています。特別な儀式や強制的なルールはなく、あくまで日常に溶け込む形で人々を支えているのです。

第2章: 楽しむ信仰 - 神道の柔らかさ

よく外国人にこう聞かれます。「クリスマスやハロウィンも楽しんで、神様に怒られないのか?」
日本人の答えはシンプルです。「イエス様もアッラーもブッダも神様だ」と。

日本人は昔から、良いものは柔軟に受け入れるスタンスを持っています。七福神を見ても、大黒天や弁財天は外国から取り入れられた神々ですが、日本では恵比寿天などと一緒に祀られ、長く親しまれています。イベントについても神道を元にした地域の祭りの他に、仏教的なお盆やお彼岸、ハロウィンにクリスマスを楽しむ。こう言った楽しいものや良いものはどんどん外から来たものでも取り入れていこうという、楽しいものに参加したいという精神性、
この「楽しければいい」という価値観は、日本神話の「天岩屋戸」のエピソードにも表れています。

岩戸に閉じこもった天照大御神を外に呼び出すために、神々はその前で宴会を開き、踊り、歌い、楽しさを見せつけました。その結果、楽しそうな雰囲気に惹かれて天照大御神が出てきたのです。この柔軟な解決策こそが、日本の信仰の真髄を表していて、まさに楽しそうだから私も参加したいというのが元来の日本人の精神性ではないでしょうか?

また、中世から近世にかけて日本を訪れたヨーロッパの宣教師や貿易商たちは、日本の文化的水準の高さに驚き、数々の文献を残しています。特に治水の整備、街の清潔さ、町人の識字率の高さなど、日本人の生活が秩序立っている様子は、当時のヨーロッパから見ても際立っていました。

これは現代にも通じるところがあります。日本を訪れる外国人が「街が綺麗」「日本人はマナーが良い」と口にするのは決して偶然ではありません。その背景には、日本人の「八百万の神々」に根ざした価値観が関係していると考えられます。

第3章: 日本人の規範意識と安心感

一神教の文化では特定の聖地や宗教儀式が神聖視されますが、日本の八百万信仰では、神は全ての場所に宿るとされています。言い換えれば、日本人にとって生活の場そのものが聖地であり、日々の行動が神聖なものとみなされるのです。これが、自然と高い規範意識や清潔さを生み出してきたのではないでしょうか。

また、最初にも触れた通り私たち日本人にとっては生活の場全てが聖地であり道路には道祖神がいて、トイレには厠神がいる、そうした聖地を汚さないように清潔に保つという気持ちを持っているから海外から来た方々が驚くほど街が綺麗なのではないでしょうか。

また清廉な精神を保つという意味では、多くの日本人が幼い頃から自身の親から言われる「お天道様が見ているよ」という言葉にも意味があると思います。
例えば、「お天道様が見ているよ」という言葉には、「誰も見ていないところでも正しい行いをするべきだ」という意味が込められています。ここでの「お天道様」は、太陽神である天照大御神だけでなく、私たちの身の回りに存在する八百万の神々を指します。日本人は小さい頃からこの考え方を教えられることで、「清く正しく生きる」という価値観を自然に身につけてきたのです。

しかし、「お天道様が見ている」という考え方は、単なる戒めではありません。それは「神様が見守ってくれている」という優しさや安心感にもつながっています。困ったとき、日本人は心の中で「神様、お願い!」と祈ります。それは特定の宗教儀式を必要とせず、むしろ身近な存在である神々への信頼感から自然に湧き上がる行為なのです。この安心感があるからこそ、日本人は古来より安定した精神性を持ち、日常の中で心の拠り所を見つけながら生きてきたのではないでしょうか。

第4章 道具を大切にする精神性と神道

日本には昔から「道具を大切にする」という文化が根付いています。それは単に物を長く使うための実用的な理由にとどまらず、神道的な精神性が背景にあると考えられます。

侍と刀 - 魂を込める職人の精神

侍にとって刀は「武士の魂」と言われるほど神聖なものでした。この刀を作る刀匠たちは、一振りの刀を打つ際に厳格な儀礼を行い、神聖な気持ちで製作に臨んでいました。例えば:
• 神棚への祈り:刀を打つ前に、神棚に祈りを捧げる。
• 体の清め:毎日水垢離を行い、自身を清めてから作業を始める。
• 工程の清浄さ:刀を鍛えるための釜をお祓いするなど、道具そのものを神聖視し、雑念を持ち込まない姿勢。

こうした厳粛な手順を経て作られた刀には、職人の魂が込められています。職人は刀に銘を刻むとき、自らの命を吹き込むように真摯な心でそれを完成させます。そして、完成した刀は神棚に捧げられ、神聖な存在として世に送り出されます。このプロセスを見ると、日本の職人たちは単なる道具を作るのではなく、**「神聖な存在」**を生み出していたのです。

ものづくりの精神 - 現代まで続く職人魂

この精神性は刀に限らず、他の工芸品や道具、さらには現代の工業製品にも通じています。
日本の「ものづくり」と呼ばれる文化の背景には、職人が一つ一つの作業に魂を込め、最高の品質を追求する精神があります。日本車が世界的に評価される理由も、こうした**「神道的な精神性」**が無意識のうちに根底にあるのかもしれません。

九十九神と道具の神格化

さらに、神道では「九十九神(つくもがみ)」という概念が存在します。これは、長年大切にされた道具が魂を宿し、やがて神格化されるという考え方です。一方で、大切にされなかった道具は妖怪となり、人々に害を及ぼすとされています。
この話からわかるのは、道具そのものをただの「物」としてではなく、**「魂を吹き込む対象」**として見る日本人の姿勢です。

消費者としての役割 - 神様を育てる文化

道具を受け取った人は、それを単に使い捨てるのではなく、「魂がこもったもの」として大切に扱います。使い込む中で道具に「魂」を吹き込み、九十九神として神格化させる可能性を秘めた存在として尊重します。
製作する職人から使用する消費者に至るまで、道具を大事にする行為は単なる実用性や経済性の枠を超え、「みんなで神様を作り上げる」という行為であり、その所作そのものが神道的な価値観に基づいているのです。

未来への展望 - 失われつつある精神性の再評価

現代では大量生産・大量消費の時代に入り、この精神性が薄らいでいる部分もあります。道具を「ただの消耗品」として扱う価値観が広がり、大切に長く使う姿勢が失われつつあることには危惧を感じます。しかし、その一方で、SDGsやサステナビリティといった新しい潮流の中で、「物を大切に使う」という日本人の伝統的な価値観が再評価されています。

**「ものづくり」**だけでなく、物を大切に扱うという消費者の姿勢が神道的精神性の一環であることを意識することで、私たちは日本文化の美点を未来に繋いでいくことができるのではないでしょうか。

第5章: アイデンティティの礎 - 日本を知ることの意味

「グローバル化」が叫ばれる中で、多くの人が海外志向を持つ。だが、世界で渡り合いたいのであれば、まず自分の国を知ることが必要不可欠だ。

「日本史を知らずに世界史をやるな」というのが、私が生徒たちによく語ったメッセージです。
世界に行けば、あなたは「日本人」として見られます。そして、あなたが自分の国や文化を誇りを持って説明できないのであれば、相手はあなたのアイデンティティを認めてくれません。

確固たるアイデンティティを持つということは、自分を生み育ててくれた国家にプライドを持つことです。
日本の歴史や文化を知り、その価値を認識することで、初めて海外で他国の人々と対等な目線で尊重し合い、渡り合えるのです。

 

第6章: 日本人のモラルの変化と未来

しかし、昨今の日本では高いモラルや規範意識が揺らぎつつあるようにも感じます。
ニュースでは「闇バイト」のような低報酬で凶悪犯罪に手を染める若者や、「パパ活」というキャッチーな言葉で援助交際を美化する風潮が取り上げられることが増えてきました。また、政治家や芸能人の不祥事が相次ぎ、日本全体のリテラシー低下が目立つようになっています。

この背景には、神道的な価値観が薄れつつある現状が影響しているのではないでしょうか。親が子供に「お天道様が見ているよ」と教えることが少なくなり、八百万の神々という考え方が忘れ去られていく中で、日本人が大切にしてきた「日本らしさ」を失いつつあるのかもしれません。

また、多様性という言葉のもとに移民が増えたことも、この変化の一因として考えられるでしょう。私は、日本の文化を尊重し、日本での生活を心から受け入れようとする移民に対して反対するわけではありません。日本は歴史的に、外来文化を柔軟に受け入れ、それを独自の形に発展させてきた背景があります。たとえば、七福神には中国やインドから取り入れられた神々も含まれています。しかし、その一方で、移民が自分たちの文化や価値観を日本に押し付け、日本のルールやモラルを軽視するようであれば、それは受け入れるべきではないと考えます。

「郷に入っては郷に従え」という言葉が示すように、それぞれの国や地域には長い歴史の中で育まれた独自の文化やルールがあります。それを理解し、尊重することこそが真の多様性を実現する鍵ではないでしょうか。日本の八百万信仰を理解し、その心を受け入れることで、日本文化の中に溶け込むことができるのです。

これからの日本には、もう一度自国の文化や歴史に目を向け、日本人としての誇りと精神性を取り戻すことが求められているように感じます。かつて日本人が大切にしていた「全てのものに神が宿る」という価値観を見直し、生活の中にそれを再び根付かせることで、失いつつある日本らしさを取り戻せるのではないでしょうか。そして、それこそが日本がこれからも世界の中で独自の存在感を保ちながら生き続けるための大切な基盤になるのではないかと信じています。


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