
巫女物語4-4 「紅緋の縁結び(べにひのえんむすび)」第3章の前半
第3章: 波紋 – 想いの行方と小さな騒動(はもん – おもいのゆくえとちいさなそうどう)
新緑が目に眩しい季節。杏奈と佐伯の間には、言葉には出さないものの、特別な絆が育まれていた。裏山の祠での出来事以来、二人はより親しくなり、境内で会う時間も増えていった。
佐伯は杏奈に、幼い頃の話や故郷の思い出を、楽しそうに語るようになった。杏奈もまた、佐伯に自分のことを話すようになり、二人の距離はより一層近づいていった。
しかし、杏奈の巫女という立場と、佐伯の抱える体調という現実が、二人の関係に影を落としていた。佐伯は時折、息切れをしたり、顔色がすぐれないことがあった。
杏奈は心配しながらも、佐伯に無理をさせないように気を配っていた。

ある日、杏奈は権禰宜の宗像様に呼ばれた。
「杏奈、ちょっと良いか?」
宗像様はいつものように穏やかな笑顔で杏奈を迎えたが、その表情にはどこか憂いが見えた。
「はい、権禰宜様。どうされましたか?」
「佐伯さんのことだが…」
宗像様の言葉に、杏奈の心臓がドキリと跳ねた。嫌な予感がした。
「佐伯さんが…何か?」
「いや…実は…佐伯さんのご家族から連絡があってな…」
宗像様は言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。佐伯の体調が思わしくなく、一度東京の病院で精密検査を受けることになったというのだ。
杏奈は愕然とした。佐伯が東京へ?何も聞いていなかった。不安と悲しみが杏奈の胸を締め付けた。
「そんな…佐伯さんは何も…」
「佐伯さんも、杏奈に心配をかけたくなかったのだろう。それに、まだ検査の結果も出ていない。心配しすぎることはない」
宗像様はそう言ったが、杏奈の不安は消えなかった。

その日の夕方、杏奈は境内で清掃をしていた。ほうきを持つ手が震えている。美咲が心配そうに杏奈に近づいてきた。
「杏奈ちゃん、どうしたの?顔色が悪いわよ」
「美咲…佐伯さんが…東京の病院に行くことになったの…」
杏奈は涙声で言った。美咲は驚いた表情を見せたが、すぐに杏奈の肩に手を置いた。
「そう…大変ね…でも、佐伯さんなら大丈夫よ。きっと元気になって帰ってくるわ」
美咲は杏奈を励ました。その時、美咲の背後から、聞き慣れた声が聞こえた。
「何を騒いでいるんだ!」
振り返ると、杏奈の祖母である千代が、杖を突きながらこちらに歩いてくる。
「お祖母様…」
杏奈は小さく呟いた。
「杏奈、お前はまた…あの男のことを考えているのか!巫女の身でありながら、そのような…」
千代は厳しい口調で言った。
「お祖母様、佐伯さんは…病気の検査で…」
杏奈は言いかけたが、千代はそれを遮った。
「病気だろうが何だろうが、関係ない!お前は神に仕える身!そのような浮ついたことを考えている暇はないはずだ!」
千代の言葉に、杏奈は何も言い返せなかった。悲しみと悔しさで、涙があふれてきた。

その夜、杏奈は佐伯に手紙を書いた。佐伯の無事を祈り、自分の気持ちを正直に綴った。そして、最後にこう書いた。
「佐伯さん、私はあなたのことを信じています。あなたが必ず元気になって帰ってくることを、心から信じて待っています。」
数日後、佐伯は東京へ出発した。杏奈は、佐伯を見送ることができなかった。千代に強く止められたからだ。杏奈は神明宮の境内で、一人、佐伯の無事を祈っていた。
佐伯が東京へ行ってから、杏奈は毎日、佐伯のことを考えていた。
手紙を書いたり、佐伯が以前落としたお菓子の包みを大切に保管したりしていた。
その包みを開けることはなかった。
それは、佐伯が帰ってきた時に、一緒に食べようと決めていたからだ。
ある日、杏奈は境内で掃除をしていると、以前佐伯と訪れた裏山の祠のことを思い出した。無性に佐伯に会いたくなった杏奈は、祠へ向かうことにした。

祠に着くと、杏奈は静かに目を閉じた。佐伯と出会った日のこと、祠で不思議な光を見たこと、そして、佐伯が自分の気持ちを伝えてくれた日のことを思い出した。
その時、杏奈は祠の奥に、何か光るものを見つけた。近づいてみると、それは小さな手鏡だった。以前、佐伯と来た時にはなかったものだ。
手鏡を手に取ってみると、裏側に何かの文字が刻まれていることに気づいた。よく見ると、それは佐伯の字で書かれたメッセージだった。
「杏奈さん、いつもあなたのことを思っています。必ず、元気になって帰ってきます。」
杏奈は手鏡を胸に抱きしめた。涙があふれてきたが、それは悲しみの涙ではなく、希望の涙だった。佐伯も自分のことを思ってくれている。必ず帰ってくる。杏奈はそう信じた。
(つづく)

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