異界電話 3

3 もう一人の彼女

暗い階段には、何者かの侵入を示すコンビニ袋を初めとした菓子袋、空缶、弁当の容器などが散乱していた。

(汚い。まぁ、それが当たり前か……)

汚れた弁当に記載された賞味期限を確認すると前年の春頃、つまり、このビルが閉鎖されてから、少なくとも一年以上は経っているのだろう。

僕は黙って階段を登った。二階には、奥に続く廊下、その脇に四つの鉄製の扉、最奥にはトイレと思われる入口があった。

「で、二階のどの部屋……?」

「一階でコーヒーを買って、二階の奥の窓際……」

彼女は、このビルの二階は四つの部屋になど区切られておらず、また一階の店舗内からの直通の階段があったという。

だが、それが窓際というのなら、その窓の外の景色から、ある程度の場所が特定できるはずだ。僕は酷い方向音痴なので、その特定は容易ではなかったのだが……。

四つの扉の内、二つは開かなかった。彼女が窓から見えるという景色を元にして、その大まかな位置を割り出してみると、それはトイレの手前の奥の部屋辺りではないかと予想がついた。

その部屋の扉は立て付けが悪いのか、まるで僕を誘うように、半開きのまま床に引っ掛かり、固定されていた。少しゾッとしたが、ここは商店街通りの近く、耳を澄ませばその通りの賑わいも聞こえてくる。

僕はとりあえず顔だけを部屋の中に入れるようにして、中を覗いてみた。そこは荒れ切ったコンクリート造りの部屋だった。壊れた簡易的な長机やパイプ椅子、汚れた紙などが床を埋め尽くしている。

(廃墟っていえば……こんな感じよな……)

僕は窓から入る月明かりを頼りに、その部屋の奥、彼女の言う景色に適合する場所を探したが、いまいち何も見当たらない。

人の死体などないに越したことがないのだが、とにかく今、僕が直面しているこの奇妙な事象の手掛かりだけでも見つけたかった。

(くそっ……。何もないか……)

散らばったゴミしか見当たらない中、僕は苛立って窓から外を見た。月明かりに照らされて、遠く駅が見える。

「ほんまにここなんか……?もっかい窓から何が見えるか言ってくれ!」

彼女の説明を聞けば聞くほど、彼女の言う場所は、僕が窓を眺めている場所に近いはずだ。

だが、それよりも少し気になることがあった。

彼女が窓の外を描写する景色の中で、僕が確認できない物が多々混じっていたことだ。例えば、付近には見当たらない居酒屋やカラオケなど……。

(本当にこの駅なのか……?)

とも思ったが、この駅で間違いがないことも、同様に彼女は描写している。

意味がわからず頭を抱えたまま僕はその部屋を出た。ふと廊下の奥に目が行った。そこには暗いトイレがある。

(トイレ……には窓があるのか……?)

二階が彼女の言うような喫茶店ではない以上、トイレがトイレであるとも限らない。

僕は乱暴な足取りでトイレに入っては見たが、割れた便器、破壊された木扉といった具合に、酷く荒れた内装を目にしただけだった。ふとその汚れた壁際に小窓があることに気が付いた。

(ん……?あの……窓は……)

と、その窓に近寄った途端、強烈な悪寒、続いて甲高い耳鳴り、直後、僕は猛烈な吐き気に襲われた。

(う……)

反射的にか、習性的にか、僕は割れた便器に駆け寄り、涙目になりながら吐いた。

(くそっ……耳鳴りまで……)

耳鳴りもどんどん酷くなり、最初は『キーン』という高い音だったのに、それは次第に除夜の鐘のような『ゴーン、ゴーン』というような音、そしてジェット機のエンジンのような『ゴォー、ゴォー』という音に変わっていった。

しばらくそこに突っ伏していた僕だったが、少し気分がよくなった折を見て、ふらふらとトイレを出ると、そこには信じられない景色が広がっていた。

まず、トイレの外は眩しいほどに明るかった。その光溢れる広い部屋には小綺麗な洋風の椅子、机がきちんと並べられていて、掃除も行き届いているのか、清潔感も溢れてはいたが、人の気配はどこにもない。

僕は放心した。

僕の頭が処理できる事態を大きく超えていたせいか、僕は棒立ちのまま、その場に広がる美しくも異常な光景を眺めることしか出来ずにいた。

そんな放心状態の僕を呼び戻したのは

「先生!!」

と、携帯電話を片手に、正面奥の階段から僕に駆け寄って来た女性、山本一華だった。

「あれ、君は……一華ちゃん……?」

放心状態の僕でも何か違和感があった。

何かが……違う。生き写しだが、この女性は塾生の山本一華とはどこか違っている。

だが、彼女は僕を先生と呼び、僕は彼女を山本一華であると認識した。とりあえず、今はそれでいい。

「やっと誰かに会えた!!」

と彼女は泣き始める。

ショートしたままで回らない頭でも、この女性こそ、僕が電話を通して話をしていた相手だと確信するまでに時間は掛からなかった。

「何……?ここ……どこ?」

状況が把握できない僕は、彼女にそう尋ねたが

「スタバやけど……。誰もおらへんねん。ここにも外にも!!」

そう言う彼女の声は、放心状態の僕には遠く聞こえた。


異界電話 4|六幻 (note.com)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?