小説「芙美湖葬送」⑥
守護神が殺し屋に変わる自己免疫疾患
芙美湖が難病と診断されたのは東京から千葉に転居して二年経った頃だ。芙美湖は千葉への転居を嫌がった。東京の経堂は便利だし新宿や渋谷へも簡単に出られる。もう何年も住んでいるから街に馴染んでいる。しかし借家だからいずれは出てゆかねばならない。そんな時に千葉の住宅団地があたった。見晴らしの良い戸建てである。好きな房総にも近い。
そんなことから強引に引っ越した。土地は広いし空気もいい。でも不便だった。それまで通っていた青山の伊藤病院には一人では通えない。仕方ないから私が暇を見つけて車で送り迎えした。病弱な芙美湖への私なりの心配りである。でもしばらくしてそれもできなくなった。負担が大きいのだ。
仕方なく千葉大学病院内分泌科へ転院した。そのころからだんだん体調が悪くなった。それまで掛かっていたのは甲状腺疾患では全国的に名の通った専門病院である。
千葉大内分泌科でも丁重に扱ってくれたが、それも有名な専門病院からの転院患者だったからだろう。それまでの服薬が徹底的に調べられた。さまざまな検査をされた。これは何の薬だときかれた。分からないと答えると不機嫌になった。結果的にはそれまでと真逆の薬が処方された。ステロイドである。
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