見出し画像

芙美湖葬送⑤―病院風景

 エラそうな看護婦  

■「死ぬ準備」「芙美湖葬送」「医療と保険共済の踏んだり蹴ったり」を纏めています。外付けハードデイスクが毀れて一旦は消えた原稿です。でも一部DVDに残ってた。それを取り出して整理している。年内に纏めたい。でも原稿を削るって結構たいへんなのです。看護婦など無昔の呼称です。


妻が亡くなって一年近くたった。気持も整理がつきつつある。亡くなったのも宿命だと思えるようになった。妻は長患いだったからある程度覚悟は出来ていた。だから早晩別れがあることを身内には話しておいた。

それが、一部看護婦の冷たい仕打ちで早まっただけだ。

妹は、それは兄さんの考え過ぎよといった。あれだけ多くの患者がいるのだもの。全部の患者に完璧な看護なんか出来ないわよ。そんなこと云ったら看護婦さんが気の毒よ。私が見る限りホントに良くやってたもの、と私をたしなめた。おそらく妹の云う事が本当だろう。少なくとも彼女がみた範囲内ではそうだ。

しかし私は妻が死ぬまでの間ずっと泊り込んで来た。看護婦が足りない。家族は付き添ってくれ、と頼まれたからだ。もう、その期間もながい。その間、看護婦のありのままを見た。それは妹がいうようなものではなかった。

たしかに優しい看護婦もいた。彼女たちは過重な労働に必死に耐えていた。体調がわるいのか、明け方には顔面蒼白になった。自らを鼓舞するように、おどけて患者の機嫌を取った。

長期入院から慢性的な便秘になり、最早下剤も高圧浣腸も効かなくなって苦しんでいた妻に、「そうねえ、もうそんなもんじゃダメねえ」と、直接肛門にビニール手袋を突っ込んでカチカチになった便を掻き出してくれたベテラン看護婦がいた。摘便という。看護婦ができる最終的な対処法だ。時間が経ってるから凄い臭いだ。手袋していても不快だ。若い看護婦は絶対にしない。

するほうもされる方も辛い仕事だ。眼科系の看護婦なんか手術後の難便秘に検査用散瞳剤を口にニ三滴ほりこんで済ませた。私の場合がそうだ。内科系の看護婦はさすがにそんなことはしないが、それでも直接患者の便に触ることは嫌う。それを古手の看護婦は当たり前のようにした。

よほどすっきりしたのか妻はベテラン看護婦に泣いてお礼を云った。彼女は、いいのよ気にしなくてもと微笑んだ。見た感じ婦長になっていい年格好だ。しかし彼女にはこれからも主任になるチャンスもないだろう。やさしすぎるし非正規だから。しかも準看上がりだ。ここは資格社会だから資格が上で新しくなければえらくはなれない。正規職員である必要もある。

新しい看護技術や機械に慣れた新人看護婦には遠慮してる。

えらくなる必要はない。このまま非正規で終ってもいいとハラを括っているだろう。後から入ってきた小生意気なキャリヤ看護婦からは敬遠されているが、患者からは頼られる。看護婦が医師以上に大事なことを患者は知っている。そんな古いタイプの看護婦だった。

彼女こそ妻の苦しみを救った天使である。

だから妻はその看護婦に手を合わせて感謝の意を伝えた。

「地獄で会った仏ってこのことね」と泣き笑いの顔になった。

しかしその一方で陰険で傲慢な看護婦たちがいた。彼女たちには何故か患者へ辛く当たった。しかもどういうわけか主任など幹部看護婦だ。若くて美人。見るからに利発そうな顔をしている。ひっつめ髪が似合うキャリアグループだ。同じ幹部看護婦でも、意地悪組から一歩身を引いた看護婦もいた。

しかし彼女はなぜかラインから外れてみえた。

とうぜん夜勤も多かった。

厭な夜勤を多く引き受けることで辛うじて居場所を保っている。

理由はわからないが幹部看護婦が夜勤することは少なかった。婦長に至っては一度もなかった。だからあり余った体力で、疲れきった看護婦をしばいた。もちろん患者にたいしても冷たかった。

たとえば家族が患者が苦しんでいると訴えても殆ど無視した。

しつこく訴えると「ほんとに患者が苦しいって云ったの」とムキになり、「どこが苦しいの。ここなの」と腹部を力任せに押した。苦し紛れに患者が首を横に振ると「ほら、どこも苦しくないって云ってるじゃない」と舌打ちして去った。

だいいち完全看護を標榜する大病院が何故患者の付き添いを要求するのか。意識もハッキリしている患者を何故「拘束」をするのか。酸素補給のチューブがどうしても外れがちなら、なぜ酸素テントに切り替えないのか。

患者がそのことを訴えようにも、拘束されてナースコールのボタンにすら手が届かない。

これは看護というよりも拷問に近い。

さらに当然の如く付添い家族に治療器具の扱いを強要する。「はい、薬はここに置いとくわよ」と平然と去る。まかり間違えば死に至るかもしれない薬品や医療器具の扱いを、知識のない素人に代行させて平然としている。その一方で見舞い家族に対しては立ち入りを制限し時間内退室を要求する。このような身勝手な行為が医療過誤の背景にあることを患者の家族は認識すべきだ。

ここから先は

146字
この記事のみ ¥ 100

満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。