音がしない人
先月のこと。
とある人との会話で
品のある人とはどんな人か話題になった。
私が部屋の前でスリッパを揃えていると
「そこまでしなくても大丈夫ですよ」
と声をかけられた。
ドキッとした。
正直、普段は几帳面に履き物など揃えない。
慣れないことをしたのがバレた気がして、なぜか
「品がないと思われたら嫌だなって…」と咄嗟に答えていた。
「僕、最近思うんですよね。品がある人ってどういう人なのか。」
その人は私が発した「品」という言葉から話を広げてきた。
凄まじいコミュ力だ。関係値が低い私と会話をしようとしている。
「品がある人って音がしない人だと思うんですよね。」
またドキッとした。
超高速で今までの行いを振り返る。
私のいる業界は礼儀作法に厳しい。
大きな音をたてたつもりはなかったけど、うるさかったんだ。
いつも母に、トイレの扉を閉める音に気をつけなさい
と言われていたのに…
逆説的に自分のことを言われているようで
勝手に気まずくなった。
思えば、この人と初めての挨拶した時なぜか怖かった。
普通の人より目の色素が薄く
ギョロリと鋭い目が合った時
何も後ろめたいことはしていないのに
心の奥を見透かされているようだった。
まるで蛇に睨まれる蛙かのように…
しかしこの後、この会話が嫌味でも説教でもないことはなんとなくすぐにわかった。
「たまに、そこまで音を立てるか?ってくらい足音うるさい人いるでしょ。
どんなに美しい人でも、偉い人でも、がさつな音だとその人の品性って見えてくるよね。だから音を立てない人、音がしない人は、品があるなあって思うんですよ。」
なんというか、話したくて話しているという感じだった。
無理に会話を続けようとしているのではなく
考えていたことを、たまたま居合わせた私に話していた。
思うほど怖い人ではなく、
情熱的で真面目で、人間味ある人なのかもしれない。
部屋に他の人が入ってくるまで、自然と会話が進んだ。
コミュニケーション能力が著しく乏しい私にはありがたいことだ。
しかし、彼が言う
「音がしない人」
私にはこの言葉が引っかかる。
音がしない人は品のある人なのだろうか。
発する音にその人の内面、品性が現れるのはよくわかる。
本当に好きなアーティストは多分人間性も好きだし、
合わない人の音楽は、何回聞いても好きになれない。
私が思う「音がしない人」は「怖い人」なのだ。
昔、近所にいたちょっと変な幼馴染が、勝手に家に上がり込んできたことがあった。
私が外へ遊びにいこうと振り返った時
その子がリビングに立っていたのだ。
その場にいた家族全員で息を止めた。
怖くて体が固まった。本当に何も音がしなかった。
これはお作法で言う、「音を立てないこと」とは別だろう。
でも、相手を感じ取れないほどの無音は不気味で怖い。
身の危険を感じるほど、静寂には威力があるかもしれない。
私が思う品がある人、魅力的な人は
そんな静寂の中に音を感じさせるよう人だと思う。
私の大好きな山口小夜子は
写真を見ているだけなのに
凜とした鈴の音が聞こえるような人だ。
心が奪われるくらい美しい人は
きっと自然に己の音を聴かせてくれるのだ。
会話をした彼も、知っていくうちに、
底知れぬ情熱が轟々と燃える音した。
きっとこの人は、言葉にしようとしていることを
すでに体現しているのだろうな。本人は気づいていないかもだけど。
塵が落ちる音も聞こえないくらい静かなのに
煌々とした内面の音が溢れ落ちるような
対極的で相反するもの、静と動の両方を持ち合わせている人は
知らないうちに誰かの心を奪うくらい
怖ろしくて美しいのかもしれない。
私もそんな人になれたらいいなあ。
と、ふと思った。