「ここも東京、多摩自慢~あきる野市・武蔵五日市」
奥多摩は、良質な石灰岩を有する山々が多く、五日市線は、その石灰石を掘り出し、輸送するために作られた路線とも言えます。目を付けたのは浅野財閥、立川まで延伸し、保有する南武鉄道(現在の南武線)を通り、川崎から輸出することを意図していました。
大正時代までは、木炭産業も隆盛を極め、都心から50キロほど離れた場所でありながら、ここから檜原を抜け、奥多摩湖までのルートであるため、観光拠点となっています。
平成の大合併までは、五日市町として独立していましたが隣の秋川市と合併し、あきる野市と名乗ることとなりました。あきる野の由来でもある阿伎留神社は平安時代の創建であり、多摩地区が古くからの都市であったことも解ります。
写真の寿庵というお蕎麦屋さん、屋号は「寿美屋製麺店」と言い創業150年、「すみ」と名乗ることからも木炭産業との繋がりを表しています。大正時代に作られた建物は、当時を彷彿させる素晴らしいものです。
ここも東京都、大いなる田舎も存在する大都会です。
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