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「いにしえ江戸の鎮めの地~東京都台東区谷中・東叡山寛永寺」

江戸城無血開城によって、徳川慶喜は上野寛永寺に蟄居します。
山全体が寛永寺の境内地であり、京都の比叡山を模して造られたことによって、ここは東叡山という山号を称しています。
 
彰義隊が立て籠もった戊辰・上野戦争によって、旧幕府軍は敗走し、時代は明治に移っていきます。
本堂である根本中堂も上野戦争によって焼き落ちましたが、川越喜多院の本地堂を移築し復興しました。現在の根本中堂は、恩賜公園内でも外れた位置にあるため、参拝客や観光客は疎らですが、まさしく、「いにしえ江戸の鎮めの地」の中心の御堂です。
護国寺、根本中堂、浅草寺は一直線に結ばれ、日光東照宮の表参道の延長線上に、根本中堂は配されています。
 
春の桜、初冬の銀杏と四季折々に心を和ませくれる寛永寺ですが、江戸時代の終焉、凄惨な戦争の場所であったこと、今では全く感じることがありません。
 
明治維新から第二次世界大戦の終戦までが77年、2022年、終戦から77年、戦争の連続の時代から平和の時代へ、日本の将来はどこに進路を取るのでしょうか。
平和ボケにはならないよう、一人ひとりがしっかりと意思表示せねばいけませんね!

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