9.リシアンのいない空想
ゼルジーはいま、パルナンと同じ部屋を使っている。リシアンは夏風邪をひいてしまい、自分の部屋のベッドでうんうんうなっているのだった。
「かわいそうなリシー」ゼルジーはため息をつく。「こんなにいい天気だっていうのに、外へ行けないんですもの」
「風邪じゃしかたないさ。おとといの水浴びが悪かったんだな。そうでもしなけりゃ、過ごせないような暑さだったけど」パルナンはベッドに腰かけて、足をぶらぶらさせながら言った。
「空想ごっこもお預けね」たったいま世界は終わったとでもいうように、ゼルジーベットに突っ伏す。
すると、パルナンが考え深げにこう切り出してきた。
「ぼくらだけで行かないか、空想の国へ」
「でも、あの子がいないと物語が続かないわ」
「だったら、リシアン女王が病に伏せっている、ってことにすればいいじゃないか。あとで、筋を聞かせてやろうよ」
「いいわね、それ」ゼルジーは、手をぽんっと打って賛成する。
「よし、決まりだ。さっそく、『木もれ日の王国』へ出かけよう」
2人は森へ向かうと、桜の木のうろの中へ潜り込んだ。
〔王室付き魔法使いのゼルジーは途方に暮れていた。目の前の天蓋付きベッドでは、リシアン女王が静かに横たわっている。原因不明の病気のため、ずっと目を醒まさないのだ。
「困ったわ。これまでに何十人もの医者を呼んでみたけれど、誰1人として治すことができないと言うんですもの」
リシアン女王自身には、ケガや病気を治す木の魔法が備わっていたが、当の本人が眠り続けているのではどうしようもない。
窓の外をこんこんと叩く音がしたので振り返ってみると、そこにはなんと、いたずら妖精のパルナンが顔を覗かせていた。
「あんた、こんなときにいったいなんの用?」ゼルジーは声を荒げる。
「どうも見かけないなと思ったら、リシアンのやつは病気なんだな」パルナンはベッドに目をくれた。
「そうよ。だから、あんたなんかにかまってはいられないの。どっかへ行きなさいよ」
「そいつがいないと、退屈でたまらないんだ。医者には診せたのか?」パルナンの質問に、ゼルジーは頭を振る。
「どの医者も、原因がわからないんだって。このまま、いつまでも眠ったままなんじゃないかと思うと、心配で心配で」
「うちのじいちゃんが言ってたが、どんな病気も治す『グリーン・ローズ』ってのがあるそうだ。それを探して取ってくりゃあ、目覚めるんじゃないかな」パルナンが言った。
「それ、本当?」ゼルジーは顔をパッと輝かせる。
「ああ、本当だ。ただし、どこにあるのかまでは知らねえけどな」
「きっと、『花の国』よっ。『扉の間』の87番目。そこに行けば、見つかるに違いないわ」
ゼルジーは杖をひっつかむと、すぐにでも出かけようと立ち上がった。
「おいらも連れてってくれないか」驚いたことに、パルナンが申し出る。
「あんたが? いったい、どうして?」ゼルジーはいぶかしそうに聞いた。
「『グリーン・ローズ』のそばには危険が潜んでいるって、じいちゃんから聞いてる。おいらの力が、きっと役に立つと思うんだがなあ」
ゼルジーは真偽を推し量るように、じっとパルナンを見つめる。また何か企んでいるのだろうか。
しばらく迷ったあげく、受け入れることに決めた。1人より2人のほうが効率がいい。たとえそれが、このパルナンであっても。いまは、1分でも早く花を見つけなければならないのだから。
「いいわ。あんたを信じる。力を貸してちょうだい」
ゼルジーはパルナンを連れて「扉の間」へと向かった。87番目の扉に立つと、首から提げた黄金の鍵をその鍵穴に差し込む。
扉を開くと、むせかえるような花の香りで包まれた。一面、色も形もさまざまな花が咲き乱れている。
「ここが『花の国』よ」とゼルジーは言った。「いまいるところは『春の野原』ね。ほかに『夏の高原』、『秋の野山』、『冬の森』と、4つに分かれているの」
「へえー、だだっ広いんだな。これじゃ、探すのも大変だぞ」パルナンはヒューッと口笛を鳴らす。
「まずは、この原っぱから探しましょう。緑色のバラなんて珍しいから、きっとすぐに見つかるわよ」
ゼルジーとパルナンは、花をかき分けるように進みながら、目を凝らして歩いた。けれど、緑色をした花はいっこうに見つからない。
「なあ、ゼルジー。ここにはないんじゃないかな。別の場所へ行ってみようぜ」パルナンはあきらめたように肩をすくめる。
「そうね、『夏の高原』を見てみましょう」
「春の野原」をどんどん登っていくと、やがて「夏の高原」へとたどり着いた。照りつける太陽こそまぶしいものの、高原の涼しい風が心地よい。
「ここには高山植物しかなさそうだぞ」パルナンがそう指摘した。その通り、イワカガミやウスユキソウなど、低地では見られない花ばかりが咲いている。
「ここにもなさそうね……」ゼルジー達は「秋の野山」を目指すことにした。
色づいたモミジで、どこを見回しても真っ赤だ。まるで誰かが赤いペンキを撒き散らしたかのよう。
「きれいね、ここはすっかり紅葉しているんだわ。もっとも、この山では1年中こうなんだろうけれど」ゼルジーはつかの間、グリーン・ローズを探すことも忘れ見とれてしまう。
「何もかも赤いんだな。だけど、緑なんて1つも見当たらないぞ。ここにも『グリーン・ローズ』はなさそうだ」
パルナンの言葉で現実に引き戻されたゼルジーは、肩を落として次の土地へと足を向けた。
山を越えたとたん、景色が一変する。木という木はすっかり葉を落とし、差し込む日差しさえどこか頼りなさげだった。
「ここが『冬の森』かあ。寒いなあ。おいら、暑いのはなんともないんだが、寒さだけは苦手なんだ」パルナンは両手で自分を抱え、ブルブルと震えだす。
「ここにも『グリーン・ローズ』はないんじゃないかしら。だって、バラって冬はあまり見かけないじゃないの」
それでも、きょろきょろと辺りを見回しながら花を探した。進むにつれ冷気が厳しくなり、足許を霜が覆い始める。やがてそれも、白い雪景色へと変わっていった。
「わたし、こんな遠くまで来たの初めてよ」ゼルジーは寒さに身を縮ませながら言う。
「花の国なのに、さっきから1輪も咲いてないな。きっとほかの森で見落としちまったんだ」
パルナンがそうつぶやいたとき、雪山の向こう側に立つ煙を見つけた。
「あれは何かしら。温かい風が吹いてくるわ」
「よし、行ってみよう」
近づいてみると、円形に焼け焦げた跡があった。真ん中には盛り土があり、花が1本立っている。それこそまさしく緑色をしたバラだった。
「ねえ、パルナン。あれよ、あれに違いないわ。『グリーン・ローズ』だわ!」ゼルジーは、夢中で焦げ跡の中に足を踏み入れる。
突然、土のなかからオオトカゲが現れた。目は黄色くらんらんと輝き、鋭い牙がずらりと並んでいる。
「ゼルジー、戻れっ! 早くこっちに来い!」パルナンが叫んだ。言われるまでもなく、ゼルジーは大慌てで逃げ出す。
「なんなの、あれ。まるで、花を守っているみたいだわ」
「そうか、じいちゃんが言っていた危険って、こいつのことだったんだな」パルナンが言った。「見てろ、丸焼きにしてやる」
パルナンは指をパチンと鳴らす。火柱がオオトカゲを包み込んだ。
「やったわ!」ゼルジーがうれしそうに叫ぶ。けれど、すぐに言葉を飲み込んでしまった。
オオトカゲは炎の中で苦しむでもなく、ケロッとしている。それどころか口をパカッと開け、なんと逆に火の玉を吐き出してくるではないか。
「なんてこった。あいつ、サラマンダーだっ」パルナンは舌打ちをする。「火から生まれたトカゲなんだ。おいらの魔法じゃ、どうにもならねえや」
「なら、わたしが」ゼルジーは呪文を唱えた。ゼルジーの魔法は水属性だ。自由自在に水を操ることができる。
サラマンダーの頭上に黒い雲が立ち込め、バケツを引っ繰り返したような大雨が降りだした。熱せられたうろこはジューッと激しい音を立て、水蒸気がもうもうと舞い上がる。
さしものサラマンダーも、これはたまらないと、しっぽを巻いて逃げて行った。
「さすがだな、ゼルジー。さ、『グリーン・ローズ』を摘もうぜ」
「ええ。早く、リシアン女王に持っていってあげなくっちゃ」〕
気がつくと、もう昼も近かった。パルナンとゼルジーは、たっぷり2時間も空想の旅を続けていたのである。
「ちょっと、リシーの様子を見に行ってみないか?」パルナンが言った。
「そうね。そろそろ起き出している頃かもしれないわ。それに、いまの物語を聞かせてあげたいし」
2人はリシアンの子どもの部屋をノックした。すぐに、どうぞという声が返ってくる。
中に入ると、リシアンは体を起こして2人を迎えた。
「どう、リシー。少しはよくなった?」とゼルジー。
「ええ、急に体が軽くなったの。不思議だわ。きっと、もう治りかけなのね」
「ぼくたち、君のために空想の国で冒険をしてきたところなんだ」パルナンは、さっそく話して聞かせる。「『木もれ日の王国』で、君は不治の病ということになっていてね。それを治すために、魔法の花を探し歩いたんだ」
「まあ、パルナン。あなたがゼルと一緒に旅をしたっていうの? わたしのために? なんてすてきな物語なんでしょう。風邪がすっかり治ったら、すぐにでもノートに書き留めなくっちゃ」
そのはしゃぎっぷりときたら、さっきまで熱に浮かされていたとはとても信じられないほどだった。