8.あふれた夢
美奈子達は、捕まえたダイオウカブトを博物館へ持っていった。
「おおっ、これぞまさしくバルバウム・クライオンテクスだ!」館長は、虫かごの中をしげしげと覗き込む。「ついさっきまで、こいつのことを調べていたところなんだ。『途方もなく大きな甲虫』という意味でな、とにかく凶暴な奴なのだ。よく見つけてきてくれたな」
「ある工場に突然、出現したそうですよ。機械が何台か踏みつぶされていましたっけ」元之は、デパートでの出来事を報告した。「ある工場」と言葉を濁したのは、デパート側が昆虫工場のことを口外しないでくれとの約束があったからである。
「記録によれば、町中の家々を破壊して回ったそうだ。恐るべき魔法昆虫だね。その工場は気の毒だったが、局所的なもので済んで、不幸中の幸いだったわい」
「フラリが見つけてくれたの」と美奈子。
「フラリ? 誰かね、それは」館長が聞いた。
「あのね、フラリって雨降りお化けなの。雨の日が大好きで、いつもぐっしょり濡れてるんだよ」緑がそう説明する。
「おれ達、友達になったんだ」浩が自慢げに言った。
「最初は怖いと思ったけど、とってもいい人なんです。人かどうかはわからないけれど」とこれは和久。
館長は虫かごをマユに近づけた。かごの中はたちまち空っぽになり、マユも元通りになる。
その間、ほかのみんなは緑をじっと見つめていた。いまにも消えてしまうのではないか、そう思ったのだ。
しかし、緑は依然としてそこに立ったままである。
「この魔法昆虫でもなかったかぁ」正直なところ、美奈子はホッとしていた。同時に、元の世界へ帰してあげられず、気の毒にも思うのだった。
「で、次の魔法昆虫のことは何かわかったのですか?」と元之。
「うむ、どうやらカマキリのようだ。わしの読み違えでないとすれば、そいつはシャリオルスティカ・パリアクスというのだ」
「それって、おっかないやつ?」和久はさっそく怖がるべく身構えた。
「最悪のやつだな。『すべてを切り裂くカマキリ』という意味でな、全身がモース硬度10のダイヤモンドでできておる」
「ヤバイ奴だな。今日が雨降りなら、フラリに頼んで探してもらうところなんだがよ」浩は恨めしそうに壁を振り返った。その向こうでは、太陽がさんさんと照り輝いているのである。
フラリは晴れた日には決して姿を現さない。頼るわけにはいかなかった。
「とにかく、カマキリの棲んでいそうなところを探してみようよ」美奈子が提案する。
「それって、星降り湖の南の森か、案外この博物館の周辺かもしれねえぞ。ここらだって、木がたくさんあって森みてえなもんだからな」
「そうでしょうか。だとしたら、とっくに痕跡があってもよさそうなものですが」元之が反論する。「なんでも切り裂いてしまうのなら、丸太がゴロゴロ転がっているはずですよ。前に森の魔女の家へ行きましたね? 1本でも切り倒された木があったでしょうか」
言われてみれば、博物館の周りにもそんな痕跡などなかった。
「1つ言い忘れていたんだが」と館長。「魔法昆虫が実体化するのには時間がかかるんだ。しかも、それぞれ出現する時間は違う。もちろん、場所もみんなバラバラなのだ」
「じゃあ、まだ実体化してないのかも」美奈子は言った。
「そう願いてえな。そんな化け物が町に出てきたりしやがったら、それこそえらい騒ぎになるぜ」浩はブルッと身を震わせる。
「と、とにかく、早く見つけなくっちゃね」和久は果敢にもそう言ってのけた。
次に現れるのはカマキリか、それとも別の昆虫か。ニュースでそれらしい事件を扱っていないところを見ると、まだ実体化はしていないらしい。
タンポポ団も、いまのところはまだ出番がないようだ。
「だったらさあ、2丁目の大里さんのところに行ってみない? また、何か面白いものを見せてくれるかも」美奈子はウキウキと言う。
「ああ、あの発明家ですか。そうですね、それもいいかもしれません」
「また、とんでもないものを作ってるかもな。よし、邪魔しに行くか」
そんなわけで、一同は緑を連れて、発明家大里一郎の元へと足を向けた。
大里一郎の家は2丁目の一番端にある。まるで、ガラクタを積み重ねたような建物で、なんだかわからないものが庭中に転がっていた。
「とても人が住むようなところじゃねえよな」浩が見たままをずけずけと言う。美奈子もそう思ったが、口にまでは出さなかった。
緑は、落ちているネジを拾ってみたり、何に使うのかわからない装置のボタンを押してみたりと、大はしゃぎだった。
「だめよ、緑。危ないものがあるかもしれないから、むやみに触らないの」美奈子にたしなめられ、はーいと返事をしながら戻ってくる。
元之がチャイムを鳴らすと、ものの数秒とかからず玄関のドアが開いた。
中から表れたのは、モジャモジャの白髪頭に分厚いメガネをかけた小男だった。
「やあ、君達か。ちょうどいま、すごいものを発明したんだ。見ていってくれ」彼がここの主、大里一郎である。口さがない者達は、「ネジの緩んだアインシュタイン」などと呼んでいる。
部屋の中も外観に負けず、凄まじい。これまでに作った発明品が所狭しと並べられ、それらをよけながら進まなければならなかった。
「さあさあ、こっちこっち。あ、機械には触れないで! 何が起こるか、わたしにもわからないからねっ」
案内されたのは、どうやら元々居間だった部屋らしい。一応、ソファーがあり、その奧に大画面の液晶テレビがでんと置かれていていた。
「博士、今回は何を発明したの?」美奈子が聞く。「博士」というのが、ここでの彼の呼び名だった。
「よくぞ聞いてくれた! 見てごらんよ、あれを」そう言って指差したのは、さっきの液晶テレビである。一見、何の変哲もなかった。
「ただのテレビですね。わたしの家にも、これと同じくらいの大きさのがありますよ」元之が答える。
「ただのテレビ? ただのテレビだと君は言うのかね。元之君ともあろうものが、この画期的な発明に気付かないとは!」
一同は改めてそのテレビを見てみた。けれど、やはりどこにでもあるようなテレビとしか思えない。
「わかった、未来の番組が映るんじゃね?」浩がポンッと手を打った。
博士は、やれやれというように肩をすくめる。
「未来のことなど、このわたしにだってわかりゃあしないよ」
「じゃあ、インターネットが見られるとか?」と美奈子。
「そんなのは、どこかの企業がとっくにやってるさ」
「それじゃ、ほかの星の番組が観られるとか」和久は思いきって言ってみた。
「おいおい、わたしは一介の発明家に過ぎないんだ。いかれた天文学者なんぞと、一緒にしないでくれ」
「では、いったい何が見られるというのですか」少々、気が急いてきた元之が尋ねる。
博士はコホンと咳払いをすると、テーブルの上のリモコンを取り上げた。
「こいつはだな、人の夢を見られるんだ。いいかね、このリモコンに『眠っている人』というボタンがあるだろう? こいつを押すと、この近所で眠っている人の一覧が画面に映し出される」博士はそう言うと、ボタンを押す。真っ黒だった画面に、住所の一覧が表示された。「例えば、3番地の吉野さんちではいま、赤ちゃんが眠っている。これを選ぶと……」
たちまち、画面にはミルクのたっぷり入ったほ乳瓶が映し出される。
「あの子、きっとお腹をすかせているのね」美奈子が言った。
「21番地ではどうかというと」画面が変わって、クマほどもある大きな白いイヌを連れたおばあさんが、その背中をさすっている様子が現れる。
「あ、いつもマルチーズを散歩させているおばあさんだ」和久が声に出した。「夢の中ではあんなに大きいんだね」
「なるほど、なるほど。これはすごい発明ですね」元之がうんうんとうなずいてみせる。
「だろう? わたし史上、最高傑作だと思っておる!」鼻の穴を大きく広げて博士は自慢した。
「ぼくにもやらせてっ」緑が博士の手からリモコンを取り上げる。
「こらっ、勝手にいじってはいかん!」博士がリモコンを取り返そうとする間もなく、緑はあちこちのボタンをポチポチ押してしまった。
とたんに、画面の中で色々な人の夢がまぜこぜになって映り始める。
恐ろしげな怪獣に追いかけられる少年、雲が真綿のようになってぼたぼたと落ちてくる様子、ロボットが集団になって町を闊歩しているかと思えば、テレビアニメのキャラが次々と現れる。もう何がなんだかわからない。
突然、ボンッと音がして、液晶画面が破裂する。すると、いままでそこに映っていたものが、一斉に飛び出してきた。怪獣も、雲も、ロボットも、何もかもすべて!
「えらいこった!」博士は慌てた。
「みなさん、家から出るんです!」元之が叫ぶ。
全員、こけつまろびつ、家から転がり出た。家からは、ドアと言わず、窓や煙突からも、実体化した夢がどんどん溢れ出してくる。
怪獣が、ガオーッと唸りながら道行く人を追いかけ回す。溢れ出てきた雲が道といわず、家々の屋根まで包み込んでしまう。ロボットが何十も隊列をなして商店街を練り歩く。テレビアニメのキャラが、所狭しと暴れ回る。
町は大混乱だった。
「どうするの、これ?」美奈子はあわあわと惨状を見回す。
「どうするったって、眠っている人が起きない限り、どうにもならんよ」博士もおたおたするばかりだった。
そうしている間にも、壊れた夢テレビからは次々と夢が飛び出してくる。へんちくりんな姿をした怪物やら、手足の生えたホール・ケーキ、巨大なトマトはゴロンゴロンと転がってくるし、戦車やジェット機まで飛び回っている。
ラブタームーラの町は、溢れ返った夢でいっぱいだった。
「魔法使いを呼んだら?」と和久。この町には5人の魔法使いがいて、魔法のトラブルを解決する役割を担っているのだ。
「いえ、それはダメですよ」と元之。「これは魔法ではないのです。言わば、科学ですね。彼らにもどうすることはできないでしょう。それにですね、5人の魔法使いが誰なのかはラブタームーラの重要な秘密だと言うことをお忘れなく。呼びたくても、呼べやしませんよ」
空が黒くなったかと思うと、雲を突き破って巨大なドラゴンが現れる。どこから現れたのか、蒸気機関車が町中を走る。空飛ぶ円盤が舞い降り、タコにそっくりな宇宙人が大勢出てくる。
もう、収拾が付かない状態だった。人々は悲鳴を上げながら逃げ惑い、あっちでもこっちでもパトカーのサイレンが鳴り響く。
博士や美奈子達が右往左往している間も、緑はただ1人、キャッキャと大喜びだった。その手には、例のリモコンが握られている。
「緑君、そのリモコンをちょっと貸していただけますか」元之は、緑からリモコンを受け取ると、眉間にしわを寄せながら見つめた。
「どうするつもりだ、元」浩が聞く。
「電源スイッチがありますが、これを押すとどうなりますやら」そう言って、ボタンを押した。
とたんに、すべての夢が、まるで嘘のようにかき消える。夢テレビの電源が切れ、実体化していた夢がすべて失せたのだ。
町が、祭りの後のようにシンと静まり返る。あとには、ただ呆然と立ち尽くす人々ばかり。
「なんてこった、どうして早くそれに気がつかなかったんだ!」博士は、自分の額をパンッと打つと、へなへなとその場に座り込んでしまった。
「博士、今回の発明はなかなかでしたね」元之が皮肉たっぷりにそう言う。「人々の役に立つには、もうちょっと工夫が必要なようですね」