さびれたオンラインゲーム
「ユルティマ・オンライン」にわたしはログインしていた。
運営されてすでに20年、オンライン・ゲームとしては歴史のあるものだ。
舞台は現代の「どこにでもあるような町」。ゲームの目的は特に定められてはいない。現実世界と同様、日常をごくごく普通に過ごすことである。
仮想現実としての規律はあるものの、それはゲームのルールではないため、事実上、何をしても構わなかった。
平凡に会社勤めをし家に帰ってからは家族と過ごしたり、テレビを観たりする者もいる。広大な世界を、ただ旅するだけの者も、自ら会社を設立して運営する者もいた。
もちろん、犯罪行為に走る者だっているのだが、ゲーム内にもちゃんと警察があって、見つかれば捕まってしまう。罪状に応じて、一定時間拘束され、保有財産や経験値のいくらかを持っていかれる。
警察に見つからなくとも、他のプレイヤーに通報されたり、直接攻撃されたりすることもあり得た。
参加者の大半は平和にのんびりと暮らしているのだが、なかにはこうした悪役に徹するプレイヤーもいるのだ。実世界では無茶なことだけに、憧れを持つ者も少なくはない。
とはいえ、犯罪行為はレベル・アップの妨げになるなど、ゲーム進行上のリスクも大きいので、全体の割合からするとまれだ。
いつもの広場へ来てみる。ログインして、まっ先に訪れる場所だ。
住宅街の真ん中に、ぽっかりと抜け落ちたような空き地。草野球程度なら苦にならないほどのスペースで、隅には土管が積み上げられていて、好き勝手に登ったり座ったりできた。
土管の上に、1人のプレイヤーが腰かけていた。頭の上には「桑田孝夫」と青字で名前が浮かんでいる。
「来てたんだ」わたしは声をかけた。
「おう、今日は遅かったな」桑田は土管から飛び下りる。
「うん、リアルのほうでちょっと用事があって。少し、その辺りを歩こうか」
わたし達は町を歩き始めた。
一時は賑わっていたこの「ユルティマ・オンライン」だったが、いまではすっかりさびれてしまっていた。
この地区だって、絶頂期には隙間なく家が建ち並び、物件は荒唐無稽とも思える高値で取り引きされたものである。
退会者とともに軒並み取り壊され、空き地ばかりが目立つようになった。残っている家だって、課金はしているものの、アカウントだけ残しているプレイヤーがほとんどだ。
「寂しくなったね、こっちの世界も」わたしはしみじみと言う。
「そうだな。志茂田や中谷が現役だった頃は、ほんとに面白かった。思えば、あのときが最高だったぜ」当時に思いを馳せているのか、桑田は天を仰いだ。
1軒の家の前で、誰かがこそこそと中をのぞいている。頭上の「飯岡辛三郎」という名前は灰色だった。
「桑田、見てみなよ。グレー・ネームがいる」わたしは指差す。
「ああ、『犯罪予備軍』だな。盗みでもするつもりだな」
あの家もたぶん、半ば放置されているうちの1つに違いなかった。セキュリティがしっかりしていればいいのだが、さもなければ部屋に保管してあるアイテムやお金を盗まれてしまう。
飯岡辛三郎はドアを開けて、するりと中へ入っていった。
「ロックし忘れていたんだ」とわたし。
「よし、捕まえて、報奨金をいただくとしよう」桑田は駆けだした。
この世界では、犯罪者を捕らえると、相当額のお金と経験値がもらえる。
玄関の外で待ち構えていると、飯岡辛三郎が出てくる。名前は灰色から赤に変わっていた。犯罪者のフラグが立っているのだ。
「ご用だっ!」桑田は相手の前に立ちふさがる。現実世界同様、障害物を乗り越えては先へ進めない。
「まじかよっ」飯岡辛三郎は、ぎょっとして立ちどまった。逃げようと向きを変えるが、反対側をわたしが通せんぼしている。
「道幅がぎりぎりだから、こっちにも行けないよ」
飯岡辛三郎は、盗み出したアイテムを山のよう抱えたまま、立ち往生した。
「待てったら。お前らにも好きな物を分けてやるからよ。この家、結構貴重なアイテム置いてやがったんだぜ。ほら、この『プリウス』。前のイベントで、トヨタが主催になったろ? こいつさえあれば、いくら人を轢いても捕まらないんだぜ」
「おれ達は犯罪に荷担はしねえんだよ」桑田が凄む。「むぅにぃ、警官を呼べ」
「うん、わかった。おまわりさーん、ここでーす!」
わたしが叫ぶと、どこからともなく制服姿のNPCが現れた。
「イイオカカラサブロウ。アナタヲ、タイホシマス!」そう告げると、赤ネームともども姿を消す。奪われたアイテムは、自動的に元の場所に戻っているはずだ。
警官が立ち去ると、わたしは桑田に言った。
「これでよかったのかなぁ。ただでさえ人が減ってきてるのに、あの人までやめちゃうかもしれないね」
「かもしれんな。けど、ああいった連中が残ったところで、この世界の活性化にゃ、なんの役にも立たない。いなくなってくれて、せいせいするぜ」
言われてみれば正論である。
「いつか、ここもサービス停止しちゃうんだろうな」この世界がオフラインになった時のことを、わたしはぼんやりと思い浮かべた。
いつもの場所を訪ねても誰もいない。見かけるのは、プログラムで動き回るNPCだけだ。なんて空しいのだろう。
ぽん、っと肩を叩かれた。
「色々なことがあったっけ。考えてみりゃあ、どれもこれも作りもんなんだよな。でもよ、たとえウソだったとしても、おれはそれらの思い出を大事にしておきてえんだ」
わたしは桑田の顔を見つめ返した。その姿はコンピューターが作り出す幻影に過ぎない。
それなのに、今日はどうしてこんなにまぶしいのだろう。
「何一つ手で触れることはできないけれど、ここで起こったことは全てが本物だったよね」
わたしは言った。桑田にというより、むしろに自分自身に対して。