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のどかな井戸端
昼下がりの城下町。穏やかな日差しが、狭い路地を暖かく照らしている。とかく坂の多い所だった。尾道を思い起こす軒並みである。
苔むした石段を下りていくと広場に出た。中心には、御影石を積み上げただけの古い井戸がある。井戸の周りで洗濯をする女性、大きな楡の木の影で立ち話をする商人、縁側に座って茶菓子をつまむ老人達、誰もがのんびりといまを営んでいた。
大声で話す者がないせいか、風に揺れる梢の音ばかりが聞こえてくる。磯の香りが漂ってくるところをみると、ここはどうやら浜の近くに違いなかった。
「布団を干すかねぇ」と誰かが言った。
「うん、そうしようかい。なんたって、こんなにいい陽気だもんなぁ」
4、5人の主婦や老婆が、布団を抱えて家から出てくる。そばの古いコンクリート塀は、すぐに布団でいっぱいになった。
布団は色も柄も様々だ。白地にピンクのバラが描かれていたり、鶴の飛びたつ様があしらわれていたりと、まるで広場の一画にちょっとしたギャラリーが開かれたかのよう。
どこからか茶色いトラネコがやって来た。狙いを定めて、たんっと塀の上に飛び乗る。小さな獣にとって、それは造作もないことだった。
そのまま歩いていき、干したばかりの布団の上で、ぱふんっと伏せる。香箱を組むと、さも気持ちよさそうにあくびをした。
せっかく干したのに、毛だらけになっちゃうな。
布団の持ち主がやって来て、あのトラネコを叱り飛ばすかもしれない。寝ているネコを起こすのは、どこか罪悪感があるものだ。わたしはネコの心配をする。
老婆が布団へ近づいてきた。
そら、きっとはたかれるぞっ。
けれど、老婆はそうしなかった。トラネコの背中をさすってやりながら、
「いい天気だなぁ、あんたもいい気分かい? そうだろうともなぁ、ああ、そうだろうねぇ」と話しかける。
杞憂だった。誰も彼もが親切で心優しい。昔からそうだった。これからもずっとそうだ。
わたしはそのことをうっかりと忘れていたのだ。