遠い星の魔法使いと魔女
わたしは冬ホタル。冷たい夜の空気の中をフワフワと漂いながら、世の中のあらましを見て回るのが大好きだ。日中は日差しを避け、木のうろや葉の陰でぐっすりと眠るのだ。
霜柱のベッドで目を醒ますと、茂みの向こうからひそひそと話し声が聞こえてきた。
「今晩は新月か。おお、クビナガリュウ座の心臓がいちだんと赤く輝いているぞっ。すると、あの日なのだな?」
「うん、そうだ。間違いない。数百年に1度の例の日だ。そら、じきにあの方達がやって来るぞ。わしらは、非番の月に代わって、お2人をできるだけ照らそう」
それは一足早く起き出した、ほかの冬ホタル達だった。
「今晩がそうなのか」わたしはつぶやく。わたし自身はまだ経験したことがなかった。両親や祖父から何度も聞かされて知ってはいたけれど。
2つの異なる力が、調和し、混ざり合う、その日なのだ。
この宇宙には、魔法使いと魔女が存在する。元々は地球で生まれたのだが、相反する魔力のせいで反発し合い、南極と北極に別れ住んだ。
それでもなお、互いの魔力は増すばかり。ついには、地球ですら手狭となって、宇宙へ飛び立ったのである。地球を離れた後も、双方はどんどん遠く引き離され続けた。太陽系を離れ、銀河の外へと広がっていった。
いまでは両者の間に、200光年もの隔たりがある。
魔法使いと魔女は、生まれながらにして恋人同士だった。けれど、どんなに愛しても、互いの魔力がそれを阻む。近づくことはおろか、日ごとに離れていくのだ。
当人達にとって、これ以上の悲劇はない。まさに、呪いであった。
けれど、絶望だけではない。クビナガリュウ座のアルファ星が強く輝くとき、魔法使いと魔女の持つ魔法の力は打ち消し合い、呪われた反発力を一切失う。
遠く宇宙の果てでそのことを知り、光よりもなお速く、故郷の星、生まれた地へと戻ってくるのだ。
ふいに、風が止んだ。空気がラズベリーのように甘く変わり、萌黄色の静寂に包まれる。それまでピリピリとしていたたかすかな磁気が、この世界を、いや宇宙全体を緩やかに温めていった。
「いらっしゃるぞ……」1匹の冬ホタルが言う。草陰のあちこちから淡い光が染みだしてきた。冬ホタル達が、自らの発光器官を灯し始めたのだ。
わたしも、ぐっと身を縮こませ、体内に溜め込んだルシフェリンにルシフェラーゼを注いだ。体全体が、次第に黄緑色の輝きを増していく。
透き通った星空に、変化が現れた。南の空は水色に染まり、北の空からはピンク色をしたオーロラが垂れてくる。
南極に住む冬ホタルが頭上に輝く青い星を見つけ、周囲の仲間に伝えた。海上から大陸へと、それはまるでさざ波のように伝っていく。
北極からも、ひっきりなしに情報が届けられていた。赤い星が刻々と地球を目指しており、もう間もなく氷原に降り立つ、と言う知らせだった。
わたし達の草原が、ひときわ明るく明滅する。
「たったいま、南極に魔法使いが降り立ったそうだ……」
「北極にも、魔女が着いたぞっ」
間もなくして、世界中にハープの音色が響き渡った。風も波も、存在する何もかもすべてが、心地よい調和に包まれる。
「ばんざーい、魔法使いと魔女が700年ぶりに地球に戻った!」
空の端と端から、2つの光がじわじわとにじり寄っていく。水色とピンクのグラデーションが、漆黒の闇を世界の外へと押しやっていった。
南極と北極では、魔法使いと魔女が星の中心に向かって歩き始める。100億光年の長旅からすれば、2人が急く必要はもうなかった。飛んでいこうが歩いて行こうが、あるいは泳いでいってもいい、のんびりと互いの距離を縮めていくだけなのだ。
最後に行き会う場所こそが、この草原である。彼らは、ここで生を受けた。運命に従い空へと舞い、再びこうして帰り着く。
「もう間もなくだ、もう間もなくだっ!」冬ホタル達が一斉に騒ぎ出した。わたしも落ち着いてなどいられなくなり、声を揃えて一緒に歌う。
草原の彼方に、青いマントをまとった青年が姿を現した。そばでは、何十億匹とも知れぬ冬ホタルが飛び交い祝う。
反対側からは、赤いローブ姿の少女がやって来た。同じ数の冬ホタルを伴って、まぶしいほどの光に包まれている。
あんなにも離れているのに、互いの瞳を見つめ合っていることは明らかだった。たかだか数百メートルなど、200万光年という深い闇に比べれば薄紙にも等しい。
わたしは羽を震わせ、土を蹴った。高々と飛んでいき、青か赤か、さてどちらへ向かおう、そう逡巡する。
魔法使いがちらりとわたしを見て微笑んだ。それとも、思い過ごしだろうか。
いずれにしろ、答えは決まった。一切の迷いを断ち切って、青い光を目指す。
魔法使いと魔女は、手を伸ばせば相手に触れられるところまでやって来た。
その場で立ち尽くし、じっと見つめ合う。
「シグナスの果てより、ようこそ」魔法使いがささやく。
「オリオンの深みから、よくぞお戻り下さいました」魔女がそれに答える。
共に最後の1歩を踏み出すと、素粒子と素粒子をつなぎ止める力よりなお強く、固く互いを抱きしめた。
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