不登校 〜 不登校からの気づき 〜
息子が小学5年生から学校へ行くのを嫌がるようになった。行ったり行かなかったりで毎日過ごしていた。
旦那は息子が不登校になったのは私のせいだと思ってる。前に少しだけ書いたが、私が否定的な言葉ばかり言って息子を追い詰めていたから、精神的におかしくなり不登校になったと思っているところがある。直接言わないが、『お前のせいだ』と言葉の端々にそういうのを感じる時がある。
不登校になり先生が家に来ても息子が部屋から出てこないことに対して「部屋から出てこなくてすみません。しつけがなってなくて。」と言う旦那。(すみません、と謝るのはわかるが会えないのはしつけの問題なの?と思ってしまう。)もちろん、先生も「そう言うことでは・・」と言っていたが。
そして「私は忙しくて子育てにはなかなか参加できなくて、しつけも妻に任せてしまっていて・・」と自分に責任はないような言葉を平気で言ってしまうのだ。
全ての責任は私にある。そういう言い方するからあーなる。そういう考え方するから息子もそーいう考えになる。ちゃんと注意しないから息子はあーなる。しつけが悪いから。そう思っている。
旦那に対してひどい態度をとる息子を「お前がちゃんと注意しないから・・」みたいに言われたことがある。言ったらその通りの子供が出来上がると思っているのだろうか?自分に原因があるとは感じないのだろうか?本当に子育てに関わってこなかったのがよくわかる。(ちょっと悪口書いてしまってます・・)
旦那と話をすると毎回こんな感じだった。
私「今日、こういうことがあってね・・・」
旦那「なんで、そういうことになったの?ちゃんと違う方法でやらなきゃ」
私「息子がこんなこと言って・・」
旦那「なんで、そんなこと言わせるの?なんでそんな風に言ったか考えた?」
ただ事実を報告したい、大変だった気持ちを共感してほしい。それだけだったのに批判、意見ばかり。だからはっきり言って、今日あったことなども話をしたくない、と思っていた。
でも、ある日ふと気がついた。
旦那が私にしてることって、まさに私が息子にしていたことなのかな?と。息子が話してきても途中で遮って「それはダメだよね」とか、正論ばかり並べて意見言ったり。なんか、旦那を嫌だと感じる一方で、自分も嫌になった。同じことをしてる自分がいるのではないか?と。息子はただ聞いてほしいだけなのに、意見を言われ、話す気もなくなってしまっていたのではないか?
旦那と話すことで、気分が悪くなることも多かったが、自分が言われて嫌だと思った言葉を同じように息子に言ってしまってドキッとすることがあった。息子に言っている・・・本当にびっくりした。ただ、聞いてあげて共感してあげれば良いのに・・すぐ意見を言ってしまう自分がいる。すごく嫌なことなのに。
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不登校になったのには意味があると思っている。息子が学校へ行く事が苦痛であったり、息子のできない事、できることを知ることはとても大切なことだったと思う。まず、息子自身を知る機会ができた。
それとは別に、私の場合は、母と息子の関係を考える機会を与えられたと思っている。それまで、なんとなく過ごしていた日々が毎日考える日々に変わってしまった。何がいけなかったのか?自分を責めるように過去を振り返った。息子とたくさん話をした。そして、息子の想いを聞く事ができた。何も話してくれていなかった。(きっと私に話しても意見を言われ、言いたいことの半分も言えていなかったのかもしれない。)
それは日常では考えることのできない大切なことだった。
まだこれから色々なことがあると思うけど、不登校の5年間はとても意味のある時間だったと思っている。