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【小説】面影橋(十九)

 秋が深まるにつれ状況は悪くなり、冬に入るとどつぼにはまりました。鉛でも流し込まれたみたいに体も心もずっしりと重く、何をするにもだるいのです。初めての感覚でした。朝も起きられなくなり、生活は昼夜逆転し、バイトも休みがちになりました。
 ヒッキーに来てもらって、強引にでも外に連れ出してほしかったくらいですが、そのヒッキーときたら――ある晩秋のよく晴れた日のことでした。神田川を遡れるところまで遡ってみようと、どちらが言い出したのか、暇にまかせた不毛な計画を立てたのです。すっきりと葉を落とした遊歩道の木々の合間から、淡いブルーのテーブルクロスのような秋空が広がっていました。その日のヒッキーはどこかで入手した古地図を片手に、いつになく饒舌で、しかしいつものようにうだうだと結論のない話をしていて、私は例によって適当に流していました。指導教官とチューターからは見捨てられたっぽいですし、やっぱ東京の人って北海道の人に比べて冷たい、このままでは学業は行き詰まって奨学金を止められるのも確実で、夢の東京生活の破綻も時間の問題、どうにかしなくちゃ、でもどうにもできない、結論の見えない堂々巡りで頭の中がぐちゃぐちゃだったのは私も同じだったのです。井の頭公園まで走破する意気込みだったのが、高井戸辺りでへとへとでした。日脚はだいぶ短くなり、朝夕は肌寒く感じられるようになっていた頃のことです。二人の顔を柔らかな西日が照らし、どこかでお茶でもして電車かバスで引き返そうかと考えていたちょうどその時でした。「師匠、ありがとうございます!」。はっ?私、何か人に感謝されるようなことした?「おかげで迷いが吹っ切れました。私、やっぱり学校に入り直そうと思います。バイトを始めて入学資金を貯めます」。それはそれは。で、私の方はまだ迷いの森の真っただ中なんですけど。「師匠はいつまでも私の心の師です」。だから何の師匠なのよ?――「接客業とか、コミュ障の私には無理です~」とか言いながらも、地元のファミレスで毎日一生懸命働いているようでした。「いつか師匠にほめてもられるようなラノベを書いてみせます!」。がんばれヒッキー。まあ、どうでもいいですが。

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橋本 健史
公開中の「林檎の味」を含む「カオルとカオリ」という連作小説をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。心に適うようでしたら、購入をご検討いただけますと幸いです。