【小説】面影橋(十四)
私は取り急ぎ、上京する予定になっていた知人に断りの連絡を入れました。彼女は札幌の学生マンションで私の隣りの部屋に住んでいた子で、専門学校に通って漫画やアニメの勉強をしていたのですが、何故か私を「先生」と呼んで慕ってくれていました。東京でお盆の時期に開かれるコミケに作品を出品するので、その期間、私の部屋を宿として使わせてほしいと言われていたのですが、とても人様に寝泊まりしてもらえるような環境ではないことを、熱中症の件も含めて、包み隠さず伝えました。
彼女のアクションは早かったです。三日後には最新のエアコンが届き、設置工事まで完了しました。私はそんな大金負担してもらうわけにはいかないと強く言いましたが、彼女曰く、ハイシーズンの東京でホテルに連泊することを考えれば、こっちの方が安上がりで済むとのことで、何でもコミケは冬にもあるそうなんですが、私が東京にいる間はいつでも好きに部屋を使っていいということで話がつきました。私としても、お金にもならないのに、好きな漫画に一生懸命打ち込んでいる若い人を応援してあげたいという気持ちでした。
いえいえ、全然そんな話ではありませんでした。彼女はその世界では有名人でSNSのフォロワー数もすごいらしく、年に二回のコミケで優に普通のOLの年収くらいは稼いでいました。確かに札幌の頃も仕送りをもらっていないという割にはやけに金回りが良く、本を貸したお礼などとしてよく貢物を持って来てくれていて、決まって高級食材とかだったんですが、容姿的には私以上に夜のお仕事とかはなさそうな感じですし、不思議に思っていました。何でもコミケの世界では、売り上げ四桁越えの猛者もざらにいるそうで、彼女も頑張れば狙えるかもしれないけど、そこまでがむしゃらになりたくないとのことでした。大手から出版していないというだけで、実態は立派なプロです。
上京してからも彼女は、巨体を力士のようにゆさゆさと揺すり、あふれ出る滝のような汗をタオルでふきふき、実に精力的に動いていました。朝のまだ涼しいうちから、私の自転車でそそくさと出かけました。私は彼女みたいな子が好んで行くのは秋葉原だと思い込んでいたのですが、無知な話で、昨今は池袋というのが常識らしいです。乙女ロードなる存在を初めて知りました。私のアパートからならチャリで飛ばせばものの十五分程度ですから、ここを東京での拠点とするメリットは大きかったのでしょう。
で、流れで私も何となくコミケに行くことになりました。暇だったのもので。東京ビッグサイトという名前くらいは知っていましたが、東京に来て初めて見た、東京っぽい近未来的な建物でした。午後遅めの時間だったのですが、駅周辺はコスプレイヤーでごった返していて、初めて見るオタクの大群にひるみました。会場に入ると来場者たちの人いきれと、彼らの醸し出す独特な瘴気のようなものにすっかり当てられてしまい、正直、出品されているものにあまり興味も引かれなかったので、人混みから逃れるようにうろうろしていると、屋上のだだっ広い駐車場に出て、目の前には大きな海が広がっていました。東京湾は凪いでいて、意外ときれいでした。今までの喧騒が嘘のような静けさに身をゆだね、入道雲を縫うように行き交う飛行機をながめながら、たぶん羽田発着かなとこことの位置関係を想像し、生ぬるい海風を顔に受けながら、猛々しい夏空を見上げていると、やっぱり何となく北国の短い夏の限りない優しさをなつかしんでいて、それが私の人生初のコミケ体験でした。
果せるかな、彼女は大物ぶりを見せつけてくれました。コミケ会場ではブース前に行列ができ、ファンというのか取り巻きというのか、プレゼントを手にした乙女たちにいつも囲まれていて、「ぴろ吉先生」とか呼ばれていました。そんな偉い先生が北海道から上京したとあって、追っかけみたいな子たちの「表敬訪問」は引きも切らず、私の部屋は連日のにぎわいで、まるで信じあった司祭と信徒のようなあまーい雰囲気に包まれていました。ぴろ吉先生が描いていたのはいわゆるBLで、そう言えば、よくワイルドとかフォスターとかを借りて行ったように思います。内容としては、シチュエーションは色々なのですが、最後は男同士、やっちゃいそうでやらない、全体に盛り上がりそうで盛り上がらない、言いたいことも分かるようで分からない、肩透かしを食らわせたようなゆるい感じの話が多かったです。でも絵は確かにすごく上手でエロかったです。
この言葉、どうかと思うのですが、蔑称ではなく自称のようなので使っちゃいますと、彼女たち腐女子の会話というのがまた独特でした。決まってものすごい早口でしゃべり、一つのセンテンスに詰め込む情報量を競い合っているかのようで、私の知らないジャーゴンやら固有名詞やらが飛び交い、一体何の話やら、最初の頃はただただ面喰いましたが、つきあってみると、意外や常識をわきまえた礼儀正しい子たちでした。そのうち私は彼女たちに「師匠」と呼ばれるようになりました。先生の先生ということなんでしょうが、一体何の師匠やら。