だから僕は同窓会に行かない
健やかにお育ち遊ばされた方に「色々考えてる人って昔から考えざるを得ない状況に放り込まれてきたんだろうな」って他人事のように考察対象のいちサンプルとされたことがあったんだけどさ、ほんとその通りだよ
俺を実験の1部品であるかのように捉えてるところはむかつくけど。
そう育ったからなあんも考えずにぼーっとしてる奴とか見るとイライラしちゃう訳。
あーこいつはなんも考えずとも済んできた側の人間なんだろなって笑
それも自分の努力じゃなくて余裕のある家にたまたま生まれただけの癖にそういう豊かさを享受できてるってことにすら気づかないのよ笑
ほんとノーテンキで羨ましいいよねって笑
一方私はある程度恵まれてたにしても人生の途中から私以外のところで問題が発生してそう簡単な人生じゃなくなっちまったからさ、色々考えなきゃいけなかった訳ですよ
だから朝礼とかそういう退屈さをまんじりと待つっていうことすら嫌だったよね なんかいつもイライラしてた すべてに。すべてにと言っても過言じゃない みんなが大人しく席に座ってつまんねー先生の話聞いてる時とかも、ちっとも話なんか聞けなくて「なんで周りのこいつら、こんなクソつまんねー話我慢して聞いてられんだ?みんな一様に大人しくしてんのなんかキモいな」みたいな疎外感を感じてた 運動会とか文化祭とか修学旅行も嫌いで仕方なかったから可愛げがない自覚はあったけどだいたい不貞腐れてた。本気で「何が楽しいんだか」って思ってた 「みんなに流されない俺かっけー」とかじゃなくて本気で分からなかった。真剣に自分の組が勝てるように純粋に応援できるクラスメイトを眺めながら私の感情の沸点は、スイッチは、どっか壊れてんだろうなとぼんやり思ってた。いつからか、そういう素直さが消え去った。
なんというか私の生きてる世界はこんなに大変で対処しないといけないことまみれなのにこんなことで時間を無駄にしてる場合じゃないって。そんなようなことをきっと思ってた 。私の余裕の無さっていうのはそういう発想からきてたんだなって。家に帰ったら今日はどう母親から生き延びるか考えないといけなかったし怖くてしょうがない運動部で今日はどうやりおおすか考えないといけなかった
進学校の中での相対的な成績だから多少低くても許してくれって言っても通じなくて私の置かれてる状況を全く考慮しようとすらせず単に成績を責めてくるだけのやつらとかぜんぶぜんぶみんな嫌いだった
成績云々以前に母や父や学校からのプレッシャーで今にも崩壊しそうだった自我を保つので精一杯だった
だから俺の態度っいうのは一言で言うと「そんなこと楽しんでる場合じゃないんだけど。何が楽しい訳?」って感じだったんだと思う。
そういうことを理解してくれる人も理解してくれそうな人も誰一人いなかった
まあその頃には誰にも理解されようとしなくなっていたし、ほんとにどうでもよかったけど。どうせ先生たちだって理由もなくイライラしてる資質に問題があるめんどくせー問題児としか思ってなかったろうし、誤解を解く気も起こらなかった。どうせ世の中そういうもんだし
だから私はたまに言われるんだ ○○ちゃんは強いねだとか1人で生きてきたみたいだねとか
実際内実そうだったからそう見えるんだよって今にもそうこぼしそうだったけど単なるお金持ち学校のクラス内の友達程度の関係の子に家族関係の私的な悩みをこぼしても困惑させるだけだったろうし、無闇に現実不可能な正義を振りかざされても面倒だなと思っていつも愚痴を引っ込めて下手くそな愛想笑いで顔を固めてた そう言われても「そうかな?笑」とか曖昧にとぼけて笑ってた もちろんそういう風に言われるのは嬉しいこともあったけどもちろんそんなので現状が変わる訳でも何でもなかったからただ聞き流してた
鈍感なフリしてる方が好都合なことも多かったから高校からはそういうキャラで生きていた
だからその当時は無意識にやってたけど私はあの健やかに育ってきた、ただ金持ちの家に生まれただけのやつらの集合体であるあの空間自体をものすごく忌み嫌ってああいう風に尖っていたわけだよねって今は思う
やっぱりなんとなくイライラするっていうのにも理由はあったんだなと
生まれの違いっていう真実は皆同じ制服を着ることで覆い隠せるほど小さなものじゃなかったんだ
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