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君とならどんな夕暮れも怖くない


劇団かもめんたるの公演『君とならどんな夕暮れも怖くない』を観劇した。
ご時世でなかなかライブに行けず、久しぶりの生ライブ。
とても面白かったから書き留めておきたい。
正直公演を観劇された方にしか伝わらかったり、演劇に対する知識も薄かったり、いつも通り自慰行為みたいな拙い文章になるかと思いますがお付き合い願えたらと思います。


あらすじ

旧型ヒューマノイドと暮らす男性。2人は主人と物の主従関係でありながら友達のように暮らす。しかし世の中はヒューマノイドの時代。ヒューマノイドと人間が平等の時代。なんなら人間がヒューマノイドになったりする(イメージ的にはワンピースのくまみたいな)。ある日2人の住むマンションに新型ヒューマノイドの家族が引っ越してくる。その家族にとって "ヒューマノイドを所有している" という男は前時代的で間違ったものであり、その考えを直そうとする。しかし2人にはその価値観が受け入れられず…。



新型ヒューマノイドたちは、彼らには知識がないだけだとして100%の善意で自分たちの価値観を押し付けてくる。

例えば、貧乏だとか経済的な順列の外側にいたアフリカの先住民に対して貨幣や資本や経済を教え、発展途上国として無理やりに世界経済の中に引き入れたことは果たして正しかったのか。

近いところでいうと、AV隠してあるのに「部屋そうじしておいたわよ」と自分の善意を押し付けてくる人。モデルは僕の母親である。


価値観を押し付けるという行為は自分たちの世界を圧倒的に信用していないとできない行為。
間違ってるかもしれないと思いながら人に押し付けられる人なんかほとんどいないと思う。

「このサプリ飲んでも全然痩せなかったのよ。どう?あなた飲む?」なんて変態いてたまるか。「このサプリ痩せるって評判なのよ~。どう?あなた飲む?」って言うでしょ? うちの母がそう言ってたし。


その一方で、価値観をはねのける人も自分たちの世界を圧倒的に信用してるんだと思う。くどいから例えはもういいよね。

互いに自分たちが正しいんだと思っている人たち同士の争いは終わりを見せなくて、「それは誰が悪いの?」って誰も悪くない。誰も悪くないからこそなくならなくて、長引いて、めんどくさくて。
もはや ”正しい” ”間違ってる” の概念すらこの世界の中じゃオワコンなのかもしれない。


僕はこれまで他人に対して諦めて生きてきた。
他人に期待しなければ価値観の違う人に対して怒ることもない。
他人は他人よね。そうやって多様性を受容した体で生きてきた。

結局それは多様性を受け入れてるんじゃなくて、多様性から目を背けることで自分を守ってきた行為。
「はいはい貴方はこういう考えなんですね。別にそれでいいけど、僕は自分の考えで行くんで。」ってどんどんおめでたい人間になっていく。
何が正しくて何が間違いとされているのか、定期的に自分の価値観とすり合わせないと、間違ったまま突き進んでしまう。


この作品で自分はどの役だろうか。価値観を頑固に受け入れられない人か。はたまた価値観を押し付けている人か。それとも新しい価値観の中でそれが正しいと思って生きて、でもその価値観に違和感を感じる人か。古い価値観すべてを下に見ている人か。
考えてみたらどの役にも自分がいて、自分はいなかった。

価値観と向き合って生きてる人がそこにいて、僕は逃げて生きてきた。
自分を否定されることに怯えて、自分の価値観だけの世界に閉じこもって生きてきた。”正しい” ”間違っている” がない世界で生きようとしてきた。

でも、たとえ間違っていたとしてもそれでもいいと認めてくれる場所は必ずあって、そこにたどり着くまでにはどうしても他の価値観と向き合わないといけない。
少しずつでもいいや。ちゃんと心開いて話そう。大丈夫。この作品に出会えたから。認めてくれる場所があることを知ったから。そのオアシスまで必死に生きてみよう。陣地取りが始まるな。



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