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「毒親」との決別〜わたしなりの毒親との別れ方〜
母のことを「毒親」と呼びたくない。
でも、わたしの心は辛いと叫んでる。
小さい頃から服を買うことが難しかった。
パーカーやジーパンでも「贅沢」と言われ買えなかった。
着てる服はいつも知らない人のサイズの合わないお下がりだった。
大学から一人暮らしをはじめ、母の目を盗んで服を買えるようになってからも、気付かれたり気に入らなければその場で脱がされた。
髪をとかすのも、歯を磨く時間だって良い顔をされない。
部屋で座って母と笑顔で会話してなければいけないから。
母から文句を言われないのは〝寝てる〟か〝ご飯食べてる〟かのどちらかしかなかったので、わたしも弟も一日中何もせずすぎていく毎日だった。
母は人の話しを聞かないし、理解しないし、記憶しない。
だからわたしの「嫌だ!やめて!」を聞かないし、わからないし、覚えていない。
当時は「何故こんなにも嫌だと訴えるのに何度もされるのだろうか?」「母はわたしのことが嫌いなんだろうか?」と苦しかった。
今ならわかるけど本人は何も悪気はない。むしろ良かれとやっているんだ。
他にも、母はノイローゼ気味でよくお酒をのんだ。
お酒をのむとからみ酒になるので、なにかにつけて難癖をつけられた。
なので、母に気づかれないように出来るだけ気配を消して難癖つけられないように何もせずに過ごすことが日常だった。
やりたいことも、日常生活もままならずわたしにとって母はまぎれもなく「毒親」だった。
それでも「毒親」と呼びたくなかった。
なぜなら、母は全力で子育てしてくれたから。
それこそノイローゼのようにアル中になる自分を追い込んで。
母は自分の全てをかけてわたしと弟を育てあげた。
それだけ愛されていたのに、わたしはずっと苦しく文句タラタラだったのだ。
でも、ふと気がついた。
「家族のわたしがこんなに嫌なら、他人はもっと感じているだろう」と、
そして、「家族だから離れずにいるけれど、他人はどんどん離れていって寂しい思いをしてるんじゃないか」と、
そういえば母はいつも1人だ。
父とも離婚し、母の兄弟とも縁を切り、友達もいない。
母は寂しがり屋な人だ。
いつだって誰かといたい。
そんな人が、皆んなから距離をとって寂しくないわけがない。
そんな中で母はずっと耐えてくれてたんだと気がついた。
寂しく不安の中で、それでもわたし達を見捨てず育てあげてくれた。
いつだって「大好きだよ」「可愛いよ」と絶対の〝愛〟をくれたのだ。
母と一緒にいて辛いときはある。
今でもたしかにある。
でも彼女の頑張りをわたしはもっと認めていかなくちゃいけないんじゃないか?
「毒親」とは、子どもに悪影響を与える親をさす。
なら、母の行動に影響されない自分でいれば、母を「毒親」と呼ばなくてすむんじゃないか。
自分を変えれば相手が変わる。
ずっと、自分の親のことを「毒親」と呼ばなくいと思っていた。
それでもわたしの心が辛いと叫んでいた。
この2つの気持ちの落とし所がわからなかて30年もたってしまったけれど、ようやく見つけた気がする。
母はわたし達を愛している。
ただ人として足りない部分があるだけ。
誰しも足りないところはある。
その足りない部分を押さえて付き合えれば母は「毒親」なんかじゃなくなる。
まだ全部を納得できたわけじゃないけど、きっとこれから慣れていく。
母が生きているうちに気づけて良かった。
「毒親」とわたしはこれで決別する。