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随想:運転免許証を取ったら精神衛生が悪化した

自動車の運転免許証を先月取得した。これでどこまでも移動できるぜ! ざまあみろ! ーー最初はそんな高揚感もあったのだが、一ヶ月運転してみて気がついたことがある。これが精神衛生を確実に悪化させているのだ。

理由は2つある。ひとつは、明らかに運転が拙劣であり、小さな失敗を重ねるたびに自己肯定感がすり減っていくこと。もうひとつは、つねに運転中に事故の可能性を想定していて気疲れすること。

特(とりわ)け前者に関しては、運転せずに外出しようとしても「そうかそうかお前は運転が下手だもんな、そりゃあ、自動車なんか移動手段にしないほうがいいよな、ていうか他人に迷惑だから運転すんな!」と、心の中にいるもう一人の性格の悪い自分が、自分自身に辛辣な口をきくので、運転しない間も精神的なストレスが蓄積する。いままで如意に外出できていたが、免許証がある以上、もはや何時いかなる時も私にはそんな安逸は許されない。火蓋は切って落とされたのだ。

問題があるとすれば、もはや運転しないときにすら精神を蝕むから、これを解決するには運転技術を向上させる以外にないということだろう。こうなるとは誰も教えてくれなかった。かかりつけの医者も「免許を取るのはリハビリに良いですね、教習所は通いさえすれば免許が取れますから」と難事でもないように嘯(うそぶ)くし、技能教習の指導員も「下手は下手だけどこれくらい普通だよ」と俺を褒めそやし、囃し立て、煽(おだ)てるものだから、てっきり免許証を取れば好いことしかない、ともすれば人生も上向くとのぼせ上がっていたくらいだった。

失敗した。否(いや)、失敗エピソードをこれから成功へと至る過程の一つとして位置づけ直す以外、この不安と自虐心に打ち克つ方法がない。前門の虎、後門の狼だ。運転しても不安、運転しなくても自虐。

ただ修練を積むことだけが私を救う。運転の自虐心は、自虐的な運転術によって私を針の筵にするだろう。運転の不安は、不安な運転によって自己超克されるか人生を賭けた戦場となるだろう。生きることは戦うことだ、と賢人セネカも言っていたらしい。運転免許証は、人生という戦場に参加するための、通行手形だった。私はこのことにまだ納得できていない。


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