『色彩休暇』 #4 RE-COLORED

AIに人間が仕事を奪われるかもしれないという恐怖は、
もう何十年も前からフィクションによって散々と描かれてきた。
自分の仕事が取って代わられ得るものなのか、十分に考える時間はあったはずだ。しかし、ここ近年の技術革新と大衆化のスピードに追いつけない隣のデスクに座る上司という立場のこの男性は、ソーシャルメディアからコピペして繋ぎ合わせたかのような文章で、私に”説明”を垂れる。
人類は”分からない”に対して過剰に攻撃的になることは、歴史を振り返れば分かることだが、それをまざまざと実感させられたのはやはり、25年前に発生した「色彩休暇」ではないだろうか。一瞬にして空間に存在する全ての事象は色を失い、人の感情だけが色鮮やかに可視化される現象「色彩休暇」。この怪奇現象は、この世界はプログラムされたものなのではと、人々に疑念の種を植え付けた。

「立花ちゃん、今日お昼どうする?」
上司のコピペ論文スピーチに割って入る女性の声。
「あ、全然みんなで先行ってきちゃってください!これ終わらせてから行くので」
橘さんは、旧時代ではいわゆる"お局様"と呼ばれていたであろう、
私よりひとまわり人生の先輩なのだが、物腰の柔らかさでその年齢差を感じさせないその雰囲気と、深夜にふと観たくなる映画のチョイスが似ているので、私は好いている。
しかしすまない橘さん!本日の私は済ませなければならないことがあるのだ、と心の内で届かない断りを入れると、空打ちしていたキーボードから手を離し、鞄を持ってそそくさとオフィスを抜ける。

セキュリティカードをエレベーター前のパネルにタッチし、
最上階のひとつ下の階へ向かう。
ひとつ上の階に位置する第一開発室は、社内でも関係者以外は立ち入ることができない。25年前までは、大手ではなくともゲーム会社によるVRヘッドマウントディスプレイの研究開発は盛んだったらしい。その全盛期に設けられたというこの第一開発室でビヨンドグラスは生まれ、実原先輩は消失した。
私は39階から非常階段を上り、最上階の扉に手を伸ばす。
「そこ、建付け悪くてね、一回押してからじゃないと開かないんだよ」
渋く落ち着いた声が背中に当たる。
「先生!あ、そうなんですね!あ!本当だ!ありがとうございます〜。危うく閉じ込められちゃうところでしたよ」
「はは、だから先生はやめてくれ。普通に森本って呼んでくれっていつも言ってるだろう」
「いやいや!先生が出した本が全部読みましたし、私にとっては学生の頃からずっと心の中では先生なので」
「そっかそっか、ありがたいね。ところで、こんなところでなにを?」
「あ~、いや、ちょっと最近運動不足かなと思い、非常階段を上り下り......」
「こんな40階まで?」
「あ~、はい。でも結局途中でエレベーター使っちゃって......あ!実原せん...実原さん見かけませんでした!?」
「僕も探していたんだよ。だけど今日は出社していないようだね」
「ちなみに、なんの用事ですか?もし見かけたらお伝えしておきますけど」
「いや、いいんだ。大した用じゃない。実原くんに預けていたものを返してもらおうかと思っていただけだ」
「それって、もしかしてコインだったりしますか?」
「なぜそれを?」
「あぁ〜〜!その、廊下に落ちてたのを偶然拾ったので預かってるんです。いや、今は私持ってないんですけど、なんというか」
慌てふためく立花を眺め、やがて微笑む森本。
「あ、そろそろ時間なので!失礼します!」
この時、彼から一切の感情の色が目に入らなかった不自然さなど、
気にも留められぬほどの勢いで、私は階段を下りた。

恵比寿駅から徒歩15分に位置するレンタルギャラリースペース
「RE-COLORED」。
真っ白な壁に囲まれた、18坪の空間。そこには油彩や水彩、アクリルなど手法を様々に使用したペイント作品が、壁に掛けられたり床に無造作に置かれたりしている。最寄駅からの距離が少しあるからか、通行人がこの展示空間に偶発的に出会うことは少ないだろう。
19:00を過ぎたあたりで、新菜はスピーカーから流れるBGMを落とし、
初日の展示を終了させる。
「おっ、今回はここでやってるんだ」
会場のシャッターを閉めようとした瞬間、
スーツ姿の一人の男が新菜に声をかける。
眉間にしわが寄る新菜、
「いまちょうど閉めるとこやったんですよ。すいません」
男性、入口から一番手前の壁に掛けられた作品を指さし、
「ああ、これ、これいいじゃん。いくら?買ってあげるからさ、電話番号教えてよ」
「はあ?今なんて?」
新菜、男の胸ぐらを掴む。
「これは赤いけど、クチナシかな」
会場の最も奥に展示されたペイントを眺める男性、フードの付いたオーバーサイズのマントを羽織っている。
「あ、まあ、そうですけど」
「昔からクチナシは実が熟しても口が開かない姿から、嫁にもらうくちなしとされていて、女の子が生まれた家ではクチナシの花を植えることが疎まれてきたらしい」
掴んでいた男の胸ぐらを離す新菜。
「はあ」
「僕にもね、娘がいたんだ。小さい時から無口な子でね、親の僕でも正直何を考えているのか分からなかった。当たり前だけど、親だからって無条件に子供の理解者なわけではない。血の繋がりなんて、ただのゲノム配列の一致でしかないからね」
フードの男は展示作品に触れ、そのクチナシから深紅を奪う。
「でもね、だからこそ言葉を使わなきゃいけなかったんだ。うん、そんな簡単なことが、今ならわかる」
「こいつ、DAか!」
新菜は彼の色の吸収を止めようと咄嗟にその腕を掴むが、
掴んだところから彼女の腕が透明になっていく。
男の腕から無色透明な結晶が伸び、掴んでいた新菜の腕を貫く。
それを見て一目散に逃げ出すスーツの男。
結晶は、シャボン玉のように七色に反射を続けている。
悶える新菜、出血によって透明化した腕の輪郭が浮き出たところで、
急いで手を離す。
距離を取り、作業用グローブをはめる新菜。

これは決して相手のためではない。
私はそう自分に言い聞かせながら、片手に持った菓子折りの水平を保つ。
情報を得るためだけに会う相手にさえ、
個展への差し入れという暗黙の了解を弁える人間であることを示すことで、自己肯定感を上げる、あくまでこれは自己満足的行為である。
自分への言い訳を並べ終わったところで、
私の視界は一瞬にしてモノクロになった。
すると視界の先に、色の漏洩が狼煙のように上がっているのが見えた。

地面から伸びた透明な結晶で全身を固められ、身動きが取れない新菜。
「協力してくれてありがとう。やっぱり思った事は口で言わなきゃ伝わらないな」
「シュル......お前わざわざ展示見に来てくれるとかどんだけうちのこと好きやねん」
新菜の首から下げられた、コインが繋がれたチェーンを奪うマントの男。
フードを外した男の顔には、人間の頬骨から下顎骨までを象ったような、
結晶でできたマスクが装着されている。
その横顔に飛んでくるショートケーキ。
空箱が床に転がる摩擦音と、息が上がり切った立花の鼻息。
男は立花の方を振り向くが、
その瞬間新菜を拘束していた結晶が砕けて溶ける。
男はかすかに笑い、
「こんな身近に2人もいたのか!素敵じゃないか。あいつはイイモノを残してくれた」
その隙に新菜は男の顔面に蹴りを入れる。
男は会場の端まで弾き飛ばされ、
水彩絵の具が水に溶けだしたかのように消え失せる。
新菜のもとに駆け寄る立花。
新菜はポケットからキーを取り出し、「なあ、免許持っとる?」

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

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