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バイバイ、またね

 夏が終わる。夏が終わるのなんてどうでもよかった。夏なんていくらでも終わればいい。夏が終わる。ヴァカンスが終わる。君がここからいなくなってしまう。君の暮らす都会の街ははるか彼方。ここからはまるで宇宙の果てみたいに遠い場所。それが問題だ。
「本当は」と、君はいたずらっぽい笑みを浮かべながら言う。「海なんてイヤだったの。どうせ別荘を持つなら、山の方がいいなって思ってた。でも、パパがヨットで遊ぶのが好きなもんだから、しかたなかったんだよね」
 ぼくたちは防波堤の先端にいた。日差しはまだ夏を諦めていなくて、ギラギラしていた。湿っぽい風が吹いていた。ぼくの父親の漁船が帰って来た。ぼくは手を振る。親父は手を上げる。
「残念」と、ぼくは言う。「君のパパが山登りが好きだったら、君となんて出会っちまうこともなかったのにね」
「なに、それ」と、君はくちびるをとがらせる。
 ぼくは肩をすくめる。
「あなたの」と、彼女は笑う。「そういう仕草、すきだよ。そういう、バカっぽいの」
「そして、君は賢くて、ちゃんとお手も待てもできるお仲間たちのもとに帰って行くわけだ」
 君は黙り込む。そして、「そうだね」とつぶやく。
 そして、こんな田舎の漁師の息子のことなんて忘れちまうんだ。そう言おうとして、やめた。もしもそうだと肯定されでもしたらと思うと恐かったから。
 別に、それは恋なんかじゃなかった。強がり? 強がりだ。ぼくは君に恋をしていた。でも、それを認めるのはなかなかに厄介だ。大企業の重役の父親を持つ君と、田舎の漁師の息子、身分違いの恋? お話の中であれば面白いかもしれないが、それが自分の身に起きるのなら、そんなのんきなことは言っていられない。認めない方が気が楽だ。
「わたしがいなくなるの、寂しい?」と、君は尋ねた。
「いや」と、ぼくは答えた。「ただ、いつもの毎日に戻るだけさ」
「それだけ?」
「それだけ」
 君はぼくの顔をのぞき込んだ。
「なに?」
 ぼくは君の顔を見た。君の目には光るなにかがあった。
「君にとってのぼくは」と、ぼくは言った。「いままで見たこともない珍獣だったんだよ。見たことがなかったものだから、ちょっとびっくりしちまっただけだ。それだけ」
 君はそっぽを向いた。「そうだね」
 ぼくは海の方を見た。見慣れた海。見飽きた海。きっと、ぼくはここから出ることはないんだろうと思ってた。ここから都会は遠い。
「あなたのこと」と、君は言った。「キライ」
「うん」
「ウソ」
「うん」
「全部ウソ」
 そう、全部ウソだったんだ。まぼろしみたいに消えていってしまう。全部ウソ。
「あなたのこと」と、君は言った。「好きだよ」
「ウソ?」
「うん」
「うん」
 迎えの車が来た。もう出発する時間だった。君は立ち上がる。
「バイバイ」と、君は言った。「またね」
「バイバイ」と、ぼくは言った。
 そして、君は帰っていった。また、次の夏に会えるだろうか。そのときには、なにもかもが変わってしまっているんじゃないだろうか。いや、変わっているだろう。それでも。それでも? 距離も、時間も、超えられるなにかがあるのではないか、それに負けないなにかがあるんじゃないかと、ぼくは思っていた。
 その冬、風の噂に君のパパの別荘が人手に渡ったということを聞いた。事情はわからない。大人の事情だろう。そういうものだ。
 夏の日、ぼくは防波堤の先端に座って、海の果てを見ている。見慣れた海。見飽きた海。背後に気配を感じ、ぼくは振り返る。そこには、君が立っている。
「どうして?」ぼくは君に尋ねる。
「またね、って言ったでしょ」と、君は笑うだろう。



No.1001
 
 


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