#16 できないを認めた時 -ウーラ編- 2. 精神的な自立ができないワケ
些細なチャレンジが世界を変える
「あなた、東京でバイトでもなんでも
いいから仕事しなさいよ」
お店を営業していた頃
エルから言われ続けてきたことで
「往復の交通費でマイナスだよ」と返すと
お金の問題ではない、といわれる。
お店もあるし、ウーラひとりでは
無理でしょうと、また返すと
それに対してもエルは
お客さんもそんなに来ないし
ウーラひとりで充分。
あなたが居ない方が仕事もはかどる。と。
そこまでいう。
本音では仕事したくないですから
よそ様の職場は避けたいところでしたが
自分のお店にひっそりいることより
とにかく外に出て人に接することが
今後の人生のカギになるようでしたから
アドバイスもらえたので
一度は聞き入れてみました。
せっかくなら都内に移住するというテイで
どうせなら正社員登用で、と
急に極端な発想で何にも考えずに
興味のひくところなんて
ないだろうと探してみたら
かなりテンションあがる
企業を見つけてしまい
さっそくウェブ応募してみました。
しかし約束の一週間が経過しても
音沙汰がなく、もう落ちたと思ったので
とりあえず世間でバイトでもせねばと
地元で探しちょうど働き始めたところ
1ヶ月ほど経ってから
ようやく返信があり、もう既におそし。
一時通過のお達しをお断り。
残念な結果でした。
残念と言えども、
この結果には理由があるのです。
冷静に考えて
いきなり数年ぶりの社員登用で
残業も覚悟の上、との表記もあり
自営業で自由気ままにやってきた私に
務まるのだろうか。
知識が追いつくかどうかもわからないですし
業務をこなせる自信も無い
というより
”やりたくなかった”のです。
働いてみよう!と行動をしつつ
動きたいと思って動いてみたが
心は動いていないから
タイミングが合うわけもない。
でもまあ、チャレンジすることで
行動を興したということになりますから
たとえ結果に結びつかずとも
動く前と、動いた後では
もう世界が違いました。
その数ヶ月後に都内移住して
仕事イヤイヤな私がすぐ就活し
世間で働く気持ちに切り替えられたのは
あの”ちょっとの変化”が
あったからだと思います。
些細なチャレンジは
小さな変化ですが
小さな変化の積み重ねが
大きな結果として現れるのかもしれません。
清々しい負け
実際に、都内で働き始めると
エルの”東京で働きなさい”という
意味を知ります。
なぜ「東京」なのかというと
土地の波動が私の波動と相性がいいからとのこと。
私自身、昔は都内の人混みが
嫌だったはずなのに
数年前からなんとなく
惹かれるようになっていたのは確かです。
しかし移住ともなると
お店が営業中でしたし、現実的に
何年も先になるのかと思ってましたが
あれよあれよとコトが進み
住みたい場所や
バイト先もじっくり探したかったんですが
準備がどうの、というより
都内にで出て仕事する!ということが
先決だったようなので
結果的に、覚悟を決めてから
全て3日で決まってしまいました。
本当にもう
1日でも早く出ろーーという
オケツ叩きのアツがすさまじかったので。
基本がめんどくさがり屋の私が動くには
このオケツ叩きがベストなんでしょう。
当時は腰がとにかく重かいので
勢いで決めないと決まらない。
そんなことは
お見通しということです。
移住して半年で、気がついたら
3件のバイト先で働いていました。
私の性質上、
新しい職場の人間関係に慣れるまで
時間がかかるので
淡々と仕事し、休憩も
1人で静かに過ごすのですが
周囲の話し声が、聞きたくなくても
入ってくる訳です。
20歳から70代まで幅広い職場でしたから
年齢も性別もバラバラ。
バイトしている理由もそれぞれで
生活の為に働く人もいましたし
目指す目的や夢がある人も
ボケ防止に働く人も。
入社すると、私ド新人ですから
業務を教えてもらうことになるのですが
大抵が年下で
中には子供のような年齢の面々もあり
ドキドキワクワク。
この数年間
知人や友人と仕事をする期間が長かったので
意外にも新鮮でした。
他にも、始めて気づく感情があって
”感心”です。不思議と。
当たり前なのですが
年齢問わず”一生懸命”働いているから。
とにかく
持続的に集中力が続かないし
飽きてしまう私にとったら
それだけでもスゴい、と思ってしまう。
感慨深い想いにふけってしまったようで
うまく伝わらないかも知れませんが
私がイヤだイヤだ、めんどくさい、
と思いながら生きてきたこれまでの時間
この人たちは
辛くても嫌でも悲しくても
毎日毎日、同じ職場で
特に楽しい仕事をしているわけでもなく
イヤとかそういうのでもなく
ただ当たり前に働いている。
我慢しながらも
幸せになりたいと願って生きている。
そんな人たちが
素晴らしく思えてしまう感覚。
ただ淡々と、エルの言っていた意味を
探しながら仕事して過ごす毎日の中で
そんな人たちと照らし合わせながら
よくよく自分と向き合ってみる。
昔から理解力があまり良くなく
物覚えに時間がかかるのに
同じ仕事を続けられなので
また新しい職場で新しいことを
覚えなければいけない状況になってしまう。
これが本質なので
もうあきらめていますけど
これをずっと繰り返してきたんですね。
だから職場への安堵感や安定感を
感じたことがない。
特に、誰かが辞めていくとソワソワし始めて
業務に飽きている私は辞めてしまう。
イヤイヤめんどくさいを
捨てきれない、手放せなかった人の
引き寄せです。
自分可愛さに覚悟ができない私は
できないことだったんだと
思い知らされました。
なので、イヤミとかネガティブな感情ではなく
すんなり負けを認められたので
意外に清々しい。
いつも腑に落とすまでに本当に
時間かかりますが
継続することも
覚悟も
人に合わせて生きることも
私にはできないんだ。と
ようやく認めることができました。
スペースを開ける
できないことを受け入れて
多少の悲しさはありましたけど
少しだけ”うれしい”
という感情も抱いたことが不思議でした。
職場で憤っている上司を見て
「私にはわからない責任感を抱えてるのかもな」
とか
叱られないように
ビクついて仕事してる30代女子を見て
「その繊細さを活かせる場所がありそう」
とか
隣に座った70歳の新人さんに
自分の仕事を傍に置いて
パソコンの操作を何度も教えている
20代の男子とか。
正も負も併せ持っていることが
美しいのかもしれない、と思えたり。
我慢して毎日を過ごしている人達でさえ
美しいと思えるのであれば
この世のみんなが本質に目覚めたら
どうなってしまうのかと、、
ワクワクした感情も湧き上がってきたり。
できないことを受け入れたことで
まさか、清々しくなれるとは。
まあただ
できることがなくなってしまって
空っぽになってしまったので
この世に取り残されたような
気持ちにもなりましたけど
それは仕方のないことです。
タンスでもクローゼットでも
スペースを空けてあげないと
新しい洋服は入らないように
”できること”が入るスペースをつくる。
欲しいものがあるのなら
何かを手放すことらしい。
その後、ぽっかり空いた場所にハマるように
少しづつ、できることに気づき始めて
私の場合は気づくまで
数ヶ月かかりましたけど
今すぐ始められる
私だから”できること”と
その先の”できること”
この両方を
見つけることができました。
ウーラが先に覚醒したのも
そういうことだそうです。
あのままウーラが
できないことを認められずにいたら
私はエルにも出会えていませんし
まだ地元で意固地に生きていたかも知れない。
そんなパラレルも存在していますから。
どう選択するかで
未来はガラッと変わってしまう。
理屈や打算は抜きにして
どうなりたいのか
何がしたいのか
本質的な明るい未来は
素直な選択が大切なのかも知れません。
イヤイヤで決めたことは
ただ嫌なものを引き寄せるだけなのだと
思い知りました。
何かを決める時には
やりたい事、楽しそうな事など
ポジティブなことを起点に
選択していくことは必須なんです。
次回は、この章の最終回。
自信が湧き出る方法と
依存していたウーラと
執着していた両親への罪悪感。
などです。
続
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