篠突く雨【オリジナルSS】
篠突く雨
バスを降りるのが憂鬱で仕方ない。窓に小さな雨粒がつき始めて、傘を忘れたことを思い出したが、もうどうでも良かった。21時、乗客は多くなく、皆一様に疲れているように見えたが、この中で一番暗い自分の顔が窓にぼんやり映った。どこで間違えたんだろう。そんなことを考えていると、バスはあっという間に終着点に着いた。
バスを降りると彼が待っていた。
「傘、忘れてったろ。」
小雨の降る中、右手で傘をさし、もう片方の手に持った傘を私に差し出してくる。
「いいよ。」
可愛げのない返事をし、歩き出す。彼は後ろから
「なんで。」
と声をかけるが、私からしたらこっちが「なんで?」って聞きたいくらいだ。
「おい、聞けって。」
彼が私の腕を掴む。途端に雨が強い勢いで降り出した。
「ほら、降ってきたろ。風邪ひくから。」
彼はもう1本の傘を開いている隙にまた歩き出す。一瞬にして身体中びしょ濡れになったが、私は早くこの場を去りたくて歩みを早めた。彼はきっとため息をついている。でも雨の音で聞こえない。
「なんで無視すんだよ!」
「私たち別れたんでしょ!?」
そうだ、私たちは昨日別れた。彼に好きな人が出来たという理由で、あっけなく二人の3年間が終わった。私はすぐにでも生活を共にした部屋を出たかったが、荷造りと部屋探しを理由に留まっていた。でもろくに会話も出来ない。口を開けば彼を責める言葉しか出てこない気がして、別れたくないと縋ってしまう気がして、なにも喋らないまま荷物をまとめながら朝を迎えた。いつも朝は彼が先に仕事に向かう。寝ていないことを心配されたが、それを無視するのでいっぱいいっぱいだった。
今だってそうだ。私はいっぱいいっぱいのままだ。
振り返り彼に向き直って叫ぶ私に、彼はなにも言わなかった。雨が激しく地面を叩き、傘をさしている彼の肩も次第に濡れてきていた。
「なんで中途半端に優しくするの!?」
「・・・ごめん。」
雨の音でほとんど聞こえない。たぶん彼は「ごめん」と言った。昨日何度も聞いた、ほとんどそれしか言わなかったのだ。苛立ちと悲しみがこみ上げてくる。
「好きな人できたんでしょう?私とは別れるんでしょう?」
「でも、心配だったから・・・。」
「だから、そういうところが、」
雨の音、雨粒が彼の傘に落ちる音、髪からなにから全部濡れてしまって、滴が顔を伝っていく。涙だけがほんのり温かい。
「私別れたくないよ・・・。もう絶対無理なの・・・?」
「それは、ほんと、ごめん。」
「もう好きじゃないの?」
「・・・わからない。」
「わかんないってなに!?」
拳を作って彼の胸を叩く。彼のシャツもじんわり湿っていることに気がつき、ハッとした。
雨の中でなにやってるんだろう。こんなことしても何にもならないのに、そんな無力さで脱力しそうだ。雨足がだんだんと弱まり、
「ごめん。悪いと思ってる。でもちゃんとしたいから、ごめん。」
そう別れを告げる彼の声がはっきりと聞こえた。
「俺今日は適当にどっか泊まるから。これ。」
私を両手で包み、しっかり傘を握らせ彼は踵を返して反対方向へ歩き出した。
彼の手は、冷たかった。
End.
【後書き】
1年程前に書きました。キーワードは「雨に打たれる」。
朗読、声劇、演劇などお好きに使って頂いて構いません。