灯火【オリジナルSS】
灯火
30歳で自分は死ぬんだと思って生きてきた。理由は特にない。ただ、中学生くらいの頃からずっとそう思い込んでいた。この思い込みは僕にとっては絶望であり希望で。悲しいことや辛いことがあっても、それは長く続かないことを意味する、期限が決まった人生に生きづらさは特段感じてはいなかった。なにかになりたいとも思わない、夢もない、だって30歳で終わるから。
無機質に高校を出て、意味もなく大学に入った。趣味がないので勉強に当てる時間はこれまでたくさんあったが、それは大学生活でそのままアルバイトの時間にスライドし、ただただ貯金が増えて行った。就職は地元のなんてことない銀行に営業として入ったが、熱意が足りないとよく怒られた。それでも成績は悪くなくて、また通帳の残高が増えて、急に焦りを覚えた。この金は僕が死んだあとどうなるんだ?ただ貯めておくことが勿体なく感じ、とりあえず同僚を連れてキャバクラに行った。散財した。煌めくシャンパンタワーは僕の目には煩わしく、擦り寄ってくるキャバ嬢は香水臭かった。同僚も接し方が変わり、よく金の無心をしてくるようになった。貸さなかったら口をきいてもらえなくなり、行内で孤立した。それでもよかった。だってもうすぐ僕は30歳になる。
「それがケイゴくんの人生?面白いねぇ。あ、面白いって言ったら失礼か…。」
「いや、いいよ。僕にはつまんない人生だったけど。」
29歳最後の日、僕はレンタルサービスを使って彼女をレンタルした。夜20時から待ち合わせて食事をし、僕の今までを聞いてもらったところだ。レンタルしたのは「みずき」という名前の黒髪の素朴な女性で、華美じゃないところがよかった。
「今どんな気持ち?」
「どんな気持ちって?」
「だってもうあと3時間くらいで死んじゃうんでしょ?怖くないの?」
「怖い、ではないかな。妙な感覚はあるけど。」
「だよねぇ。でも、いつ死ぬかわかりませんよ、よりも気楽かも?」
みずきは腕を組みながら真剣そうに言うので思わず笑ってしまった。僕はこの話を人にしたことはないが、おかしいことである自覚はあるのだ。
「なんで笑うんだよー!私、変かな?」
「ちょっと変わってるかもね。」
「みんなに言われるんだよねぇ。変わってるね、レンタル彼女向いてないねって。」
「そんなことないんじゃない?僕は今楽しいけど。」
「よかった!ケイゴくんはさ、どんな人がタイプ?」
「考えたことないな。」
「お付き合いしたことは?」
「それはあるよ。でも恋愛感情はなかったから。愛想尽かされてフラレて終わり。」
「勿体ないなー。勿体ないよ、うん。」
「恋愛してないことが?」
「なにかを猛烈に好きー!って思うのって、楽しいよ?私でどう?」
「みずきはなにが好きなの?」
「ケイゴくん!」
「そういうのはいいよ。」
「今彼女っぽくなかった?」
どうも調子が狂う。子どもっぽいのに、たまに見せる表情はちゃんと女性で、僕は初めて時間を忘れて過ごせていたかも知れない。気がつけば、もう終電の時間が近づいていた。
「予約は24時までだから、あとちょっとだね。ケイゴくん、このあとどうする?」
「終電あるだろうし、時間前倒しで帰っていいよ。今日はありがとう。」
みずきは何か言いたげだった。
「…延長する?」
「そんなこと出来るの?」
「お店には内緒にしとく。なーんかこのままケイゴくん1人にしたくないなーって。」
「別に寂しくないから大丈夫だよ。」
「私が一緒にいたいの!女心わかってないなぁ。」
みずきの提案でコンビニに寄り、売れ残ったショートケーキを買って公園へ向かった。ベンチに座るなり、みずきはバッグから「3」と「0」の形をしたろうそくを取り出す。
「誕生日でしょ?お祝いのタイミング逃しちゃったから、ここでしよ。」
みずきはショートにそっとそのろうそくを差し、ライターで火を点け、それが風に当たらないように、両手でふわっと覆う。
「カウントダウン。あと1分。」
「こういうの初めてだ。」
「初めてもらいっ。」
30歳になるまであと30秒。僕はこのとき、時間が止まればいいのにと考えていた。死にたくないと思った。
「さーん、にーい、いーち。」
僕はろうそくに息を吹きかける。
「おめでと、ケイゴくん。」
「ははっ、ありがと…。」
僕は泣いていた。思い込みに囚われて全てを諦めていたことに、そして、今目の前のみずきとの時間を失うことを惜しいと思ったことに。
「生きるんだよ。これから楽しいことたくさん待ってるから。」
みずきはケーキ越しにぎこちなく僕を抱きしめそう言った。
「でも、僕はこれから先のことなんて何も考えてなかった。」
「それをこれから考えるの。なんだって、いくらだって出来るんだから。」
僕はひとしきり泣いて、みずきはそのあと何も言わず僕を抱きしめ続けた。ハッと我に帰った頃には25時が迫ってきていて、タクシー代をみずきに握らせ僕たちは別れた。たぶん会うのは最後なんだろうと、お互いに次の約束みたいなものはしなかった。
あれ以来みずきとは会っていない。彼女が最後にかけてくれた情以上のものを求めてはいけないと思ったから。僕はまた仕事に行くし、なにもない日常に静かに戻っていった。ただひとつ、心の中を大きく占めていた絶望が、あの日のろうそくの灯火のように消え去ったことだけは事実だ。
End.
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