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全力妄想悪口「好きだけど、愛してはない」

※これはフィクションであり、実在の人物とは一切関係ありません


「私のこと、愛してる?」

「好きやけど、まだ愛してはないかな」


今の恋人と付き合う前のこと。
彼が私に話してくれた彼の元恋人との会話の一部始終が、なぜだかずっと心に居ついてしまい、なかなか離れてくれない。あぁなんて言葉だろう、とふとした瞬間に思い出しては眉間にシワを寄せる。私が言われた訳ではないのに。

血が出る訳でもないし、わめくほど痛くもないけど、雨の日にどんよりとのしかかってくる頭痛に顔を歪めるときみたいに。実質的には無害な、しかしなんとも居心地が悪い言葉が、私の心にはいくつも刺さったままになっている。それも、気に留めるほどでもない、なんでもない言葉が。

「好きだけど、愛してはいない」

まるで恋のABCみたいな台詞。「手は繋いだけど、キスはしてない」って。好意や愛情がそんな風にシステマチックに分類できて、ピラミッド状に分布した愛が下から上に移行していくように愛を測れたら、どんなに楽だろうか。そして同時に、そんな世界は身震いするほど恐ろしく、また眉間にシワを寄せた。

思春期真っ只中、愛とはそんなピラミッドのようなものだと思っていた。私も、多分周りの同級生たちも。だからみんな恋をすると「好き」ではなく「愛してる」と一様に言いたがった。「好き」より「愛してる」の方が愛のランクが高いから。Sランクの愛。

その証拠を記すかのように、当時のプリクラにはどれもこれも「××愛してる」と彼氏の名前と愛してるの文字がでかでかと入っている。それがステータスだったと言うとまだ聞こえがいいが、どちらかというといつもの散歩のいつもの場所に放尿してマーキングする犬みたい。その愛してるはそんなに高尚なものではないのに。

私も若気の至りで、当時付き合っていた男の子と「愛してるよ」と言い合ったりしてみたこともある。けれど、その言葉を発する度、羞恥心に苦しめられ、そのうち耐えられなくなり、ついに言うのをやめた。その子に「愛してる」と言われても「うん」とか「ありがとう」とか言ってはぐらかして。

そんな可愛らしい思春期エピソードを思い出しながら、一体なぜ大の大人である私の恋人から、まるで中学生みたいなエピソードが飛び出してきたのかと首をかしげる。

例えば彼が、全身ブランドものの服やカバンに身を包んでいる人だったら、その口から「好きやけどまだ愛してはない」という言葉が飛び出してもすんなり納得しただろう。
わかんないけど、プリクラに「××愛してる」と書いたことに違和感を持たずに大人になれたら、きっとシンプルだ。愛のピラミッドの頂点が「愛してる」で、ファッションのピラミッドの頂点がエルメスとかかで。そうやってものごとの価値にシンプルで分かりやすい優劣をつけて自分の価値を表現する。ハリー・ウィンストンの指輪をつけた人が言う「愛してる」は様になる。
もしくは湘南乃風とかワンオクを崇拝してそうな恋人たちとかの「愛してる」も違和感はない。こちらの場合は「裕福じゃないけど、愛は最高品質だぜ」タイプだ。

どちらにせよ私の恋人は、どちらにも当てはまりそうにない。もし仮に「私のこと愛してる?」と聞いたなら…。彼は一瞬フリーズし、たっぷり考えた後に、言葉を選びながら自分の感情を慎重に言語化をするだろう。(私という人間の面倒くささを熟知している彼のリスクヘッジはぬかりない)
よって、彼が美しい京都弁で「好きやけど、まだ愛してはないかな」と言い放つ姿はお目にかかることはできないという訳だ。

あぁでもそうか。きっと私が想像したみたいに、その元恋人にも「好きだけど愛してはない」が一体どんな状態なのか、彼はしっかり解説していたのかもしれない。私に話すときに、ぎゅっと要約しただけで。(事実がどうだったかに興味はない。妄想の種からあらゆる可能性について考える、これはファンタジーとしての思考であり文章なのだから)

好きだけど愛してはない状態を解説される彼女の気持ちはどんなものか。中途半端に頭がいい女(良すぎてはダメだ)や、優しい女、真面目な女は、きっと意外にも納得して受け入れてしまうだろう。解説を聞いているうちに、「好きだけど愛してはない」という超★極悪な言葉が、ただのシンプルな「愛してる」よりも、より高尚な愛に思えてきたりするマジック。一瞬違和感を感じたとしても、多分いとも簡単にその違和感を無視してしまえる。

複雑で難しい愛こそ本物だという迷信が、思考を鈍らせる。ピラミッドには分類されない唯一無二の愛がそこにある、という特別感。そこには、それも一種の愛だと「信じたい」という気持ちも働くから尚更厄介だ。 
だから「好きだけど愛してはない」を一刀両断してやろうという女は…どんな理由であれ尊敬したい。

ここで、もうひとつの可能性について改めて考えてみる。「好きだけど愛してはない」という台詞を、なんの解説もなしにそのままストレートに放っていた場合について。

それはさすがにナメすぎ、まるで彼女を下等生物として扱っているかのようだ。彼は素晴らしい言語化能力を持っているし、相手のバックグラウンドに合わせて分かりやすく説明を調整する能力も持っているのに。にも関わらず、わざと説明しないというところに暴力性を感じる。

その言葉の持つ効力を完璧に理解していながら敢えて解説なしに放って、自分と彼女の間に見えない壁を作る。深入りさせない、だけど相手が離れていかない程度に愛を与える、そうやって死なない程度に生かしておくための言葉。そんな言葉を放つのはもう放火犯やん。刑法108条放火罪で捕まれ、と私が彼女なら思う。好きだけど愛してない女にRADのラストバージンを歌う男、やだな。

私は彼に「愛してる」と言ったことも、言われたことも勿論ない。私からは愛してるなんてこの先も言わないだろう。もし彼に「愛してる」と言われたとしても、また眉間にシワを寄せて「それってどういう感情?」とか「"愛してる"って…?」とか、身を乗り出して言葉の定義を確認してしまいそうだ。(「好きやけど愛してはない」と言われる可能性は考えないでおく)

「好きだけど愛してはない」
考えれば考えるほど、えらいけったいな言葉だな。

ここまで事実無根の完全妄想悪口を全力でお届けしてきたが、最後に一つ言っておきたいことがある。


恋人には「愛してるよ」と言われたいです。



本谷由希子さんの「生きてるだけで、愛」を読んで悪口のセンスに感動したので、私もどこまでもしつこい悪口を書いてみたくなりました。
悪口のセンス、磨いていきたいと思います。

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