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別れのお味噌汁
それはよく晴れた冬の日だった。
もうとっくに破綻してしまっているんだと、薄々気付いてはいた。小さな違和感は、霧が立ちこめるようにじわじわと徐々に充満していった。
のらりくらりと私を避け、曖昧な態度を貫いていた恋人に腹が立つ。そんな恋人の本心を知りたくなくて、同じくうやむやなままにしていた自分に腹が立つ。こういうとき、何が誠実さで、何が彼への思いやりで、何が自分を大事にすることなのか、さっぱり分からない。別れはいつだって痛みを伴い、誰かを傷つけ、消耗する。
この数日前のこと、私は彼に「人としてあり得ない、最低」などと書き放った。でも彼が人として最低だなんて、そんなこと私は一度だって思ったことはない。「人としてあり得ない」「最低」の頭にはいつも「世間的に見れば」という前置きがつくのだ。それは私が心から思っていることではなく、世間の合意。その世間様の大きな大きな力を振りかざさないとやってらんないくらい、私は傷ついていた。
万事うやむやにしていた彼の気持ちくらい、想像せずともわかる。その気持ちがわかってしまうような人間だから、私は彼に惹かれたのだ。それでも、それとこれとは別だと自分に言い聞かせる。今は彼への理解よりも、傷ついた私の心に耳を傾けることが優先なのだ。
朝起きると、恋人から「今日どこで会う?」と連絡がきていた。別れ話にふさわしい場所なんてこの世のどこにも存在しないよと思う。今からどんな話をされるかも知らない私に、どこで話すか決めさせるなんて、ほんと残酷。そちら様に決めてもらいたいんですけど、と心の中で文句を言う。考えあぐねた末に結局正解がわからず、二人の中間地点である渋谷を指定した。諦めである。
約束の時間まではまだ余裕があったので、重い足取りで食材を買いに外に出た。お腹は空いていなかったけれど、恋人に振られるかもしれないことにビビってごはんも食べられないような女にはならねえぞという謎の意地が、私を突き動かしていた。相変わらず可愛くねえな、自分。スーパーまでの道を歩きながら、12月後半とは思えない温かさにじんわりと汗ばむ。今日、こんなにぽかぽかでいい天気だったんだ…外に出るまで気付かなかった。
見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
近所の踏切の前で、私は立ち止まる。
こんなに快晴の昼下がりに、縁もゆかりもない渋谷の薄暗くて空気が悪いカフェで別れ話?そんなのアホみたいだ。誰に聞かれているかもわからない場所で、一体どんな話し合いをしろというのだろうか。例えば振られた私が泣き始め、彼は毅然とした態度でそれを傍観し、知らない人々の白々しい視線がこちらに集中する…そんな情景を頭の中に描いた。これが映画の佳境なら最高、でも今日を良く生きたいだけの私にとっては最悪。…耐えられたものではない。
最悪を回避したい私は、ぼんやり考えを巡らす。今日が最後だとしたら、今日は彼との最後のデートということになる。(別れ話をデートと呼んでいる時点で頭が沸いてる。)晴れ渡る青空の下、恋人と最後のデート…それなら川辺でまったり散歩でもしたいな。(お酒も入っていない上に、昼間の太陽に煌々と照らされる河岸で、あの彼が話し合いなどできるのかという不安が一瞬頭をよぎったが、無視することにした。)
スーパーで買い物を済ませ、家に向かってだらだら歩きながら彼にメッセージを送る。
「やっぱ多摩川の土手で話したい!
駅まで迎えにきて〜」
こんな風に、正しい彼女みたいなメッセージを送るようになったのはいつからだろうか。まるで私じゃない誰かが打ってるみたい。いつからか、明るくて機嫌がいい彼女でいようと心がけるようになっていた。逆に言えば、意識しないと明るくいられないくらいには、私の気持ちは落ちていたということだ。
住んでいる街から電車に揺られ1時間、彼のアパートがある多摩川沿いのその街に私は足しげく通った。雨の日でも、風の日でも。夏にはふたりで散歩に出かけたり、焚火をしたりした。秋になった頃、そこにはもうすでに彼はいなくて、私は彼の家に行った帰りに1人でよく足を運んでいた。秋風がそよぐ河川敷で本を読んだり、昼寝をしたりして。
そんな多摩川で、今日は別れ話をするのだ。
少し早く駅に着いた私は、コーヒーを買って彼を待つ。駅の向こうから現れた彼の顔を見上げる。久しぶりの再会だった。
「パーマもうとれたの?」と私は言う。
「いや、セットしてるだけ」と彼が言う。
「髪切った?」と彼が言う。
「いや、ストパーかけただけ」とわたしは言う。
なんてことない会話の端々に滲む、空白の時間、心の距離。なんだかとても悲しかった。
「髪切った?」と言った彼が、目を見てそっと私の髪に触れる。冬の初めに彼がパーマを当てた日、その髪に触れようとした私を無言で拒絶して目も合わせなかったくせに。ほんと、調子のいい人。それでも私は彼に髪をふれられて微笑んでしまう、そういうかなしい生き物なのだ。
最高の天気といえど、もうすぐクリスマスがやって来ようとしているこの季節。河原の風は冷たく、カップの中の珈琲は一瞬で冷めてゆく。他愛もない会話をしながら並んで歩き、河岸のベンチに腰をかけて話をした。
恋人同士になった日も、私たちは川辺に腰かけてこんな風に話をしていた。春先を過ぎ、涼しい風がやさしく吹き抜ける5月の京都の鴨川だった。あのときと重なるなぁ、と彼が言う。そんなことなど忘れていた私は、珍しく彼の言葉に記憶を呼び覚まされた。
あのうっとりと甘い旅のこと。京の夜は、あらゆるもので満ちていた。鴨川のせせらぎ、ゆらめく夜景、古き良き銭湯の匂い…。こうして言語化しようとすると私の五感は研ぎ澄まされ、辺りはたちまち京都の空気に包まれてしまう。あの特別な夜の温度や湿度、香り、感覚、感情…半年以上も前のことなのに、身震いするほど生々しい。
あのとき、「こんなところにあったんや」と彼は言った。一体どんな宝物を見つけたと、どんな大事なことを思い出したと言うのだろうか。「幸せにします」と彼は言っていたそうだ。約束などできない未来に、一体何を誓ったというのだろうか。あの時のあの言葉は、一体なんだったの。
季節のように移ろう人の心を嘆いても仕方がないのはわかっている。言葉はいつだって不完全で、まやかしのようなものだ。放った瞬間からその言葉はもう腐り始めている。昨日の言葉も、明日への誓いも、なんと賞味期限の短いものか。
風が強い多摩川の河川敷で、その後何を話したかはよく覚えていない。ともかく私たちは別れた。詳細なんてどのみち書くに足らないことだ。彼の少し憂いを帯びた綺麗な横顔だけが、ただ今も私の記憶の端で、不意に浮かんでは消えてゆく。手を伸ばせば触れられる距離にあった、その美しい横顔。
話すべきことなどもう、とっくに底を尽きていた。「帰ろう」と私は言う。きっとずいぶん前からその一言を待ちわびていたのであろう彼のために。駅までの帰り道、これからのことを話しながら、私はいつかの日記を思い出していた。
もしいつか別れて、彼のごはんが食べれなくなってしまったら。そんなことを想像すると、私はほんとうに、かなしくてみじめな気持ちになる。
「お願い、もう一度抱きしめたいだとか、キスしたいだなんて言わないから、もう一度だけごはんを恵んでください。」なんて間の抜けたことを、大真面目に言ってしまうかもしれない。
「もっと愛して」なんて口が裂けても言わないけど、「ごはん食べたい」なら何度言っても許されるというところも気に入っている。
放った瞬間から腐っていく言葉。…あぁ、今更彼のごはんが食べたいなどと、私は到底思えない。
私が食べたかったのは彼の愛情が詰まった、ほかほかと湯気の立つ温かいごはんだった。私は彼のごはんに美味しい美味しいってはしゃいで、それでちょっと照れて笑う彼の顔が見たかったのだ。私のことをもはや愛してなどいない彼の作るごはんなど、味のしない冷や飯も同然なのだ…。
だから今更、「お願い、もう一度抱きしめたいだとか、キスしたいだなんて言わないから、もう一度だけごはんを恵んでください。」なんて言ったところで、それは「お願い、最後にもう一度だけキスして…」とか言うのと同罪です。だって私は、ごはんが食べたかったんじゃなくて、その先にある愛情がほしかったんだから。バカなの?
まあブツクサ言ったって別れたんだから、私は彼が作るごはんはどのみち金輪際食べれないってわけ。どうやら彼にとって、手料理は遊び相手の女には食わせない神聖なもんらしいからね。私が今、彼のごはんをほんとに食べたいと思ってるかなんて知らね!でも最後って言われたら、ほしがっちゃうのが人間ですよね。もしも明日世界が終わるとしたら、私は美味いもん食って満たされて死にたい。好きな人が作ってくれたごはんなんか、理由もなく無条件で食べたいんだよ。いいだろそれで!
…つい熱が入ってしまったけれど、そういうわけで脳内会議の結果、私は彼に言う。
「あなたの手料理、最後にたべたかったなぁ」と。
彼はいつものように、ちょっと困ったような笑いを浮かべて答える。
「いいけど…作りますよ、全然。何がいい?」
「んー。スープ!」
川で別れ話なんかしたから寒かったし、手の込んだものを作らせてしまって長居するのも気まずいし。スープは我ながら名案だ。
いつか彼の家に泊まって、寝坊した日のこと。私がベッドの上で仕事をしていると、彼が朝ごはんを作ってくれた。卵と豆腐とネギの中華スープ。お酒が抜けきっていない身体にじんわり染み渡った、あの優しくて温かいスープ、カップ1杯の愛。あれ、幸せだったなぁ…。この幸せが一生続いてほしいと、あのとき私は祈るように思っていた。
寒空の下を家に向かって歩きながら、彼が私に聞く。
「中華か、洋風か、味噌汁。どれがいい?」
「じゃあ…味噌汁でお願いします」
頭の中に、あの幸せな中華スープを思い浮かべながら、味噌汁と答える私。あの中華スープは思い出の中だけにしまっておこうと、そう思ったのだった。
そうこうしているうちに彼の家について、私はいつものように部屋の片隅に小さくなって座る。彼が台所に立っている間、どんな顔をしてそこにいればいいのか、今からどんな顔をしてその味噌汁を食べればいいのか全然わからなくて、ものすごく居心地が悪い。当然だ。それなのに図々しく上がり込んで、別れた恋人に味噌汁を作らせている。一体この状況は何?
彼は一体、今どんな気持ちで台所に立っているのだろう…そんなこと、知る由もない。知る由もないけど、でもこの先一生、味噌汁を作る度に私のことを思い出してしまえ、そう思った。
彼が作ってくれたお味噌汁は、とびきり普通で、とびきり美味しかった。京都人の彼が作る、なんとも彼らしいお味噌汁。たっぷりのお出汁に、豆腐としめじ、そこにどーんと存在感のある甘ーいお味噌。冷えきった身体に染み渡る、とても温かくて、とても優しい味。
「んー美味し!でもこれは味噌汁じゃない」
と私は言う。
「そやんな…これは味噌汁じゃないよな」
と彼は言う。
にぼし出汁に、麹の粒がたっぷり入った塩辛いお味噌、そこに例えばじゃがいもと玉ねぎ…そんな味噌汁で私は育った。
だから好きだったのに。味噌汁ひとつとっても全然違うことばかりの彼のことが大好きだったのに…。
「ごちそうさまでした。美味しかった。」
そんなことしか言えなくて、でもそれが全てだった。
帰り際、玄関で最後の言葉を交わしながら、私は初めて彼の家に来た日のことを思い出していた。家に入ろうとした私を、中から強引に抱き寄せてキスをした彼の力強い腕や、大きくて温かい胸の中のことを。不覚にもときめいて、恥ずかしくてどうすることもできなかったあの瞬間の甘酸っぱいきらめきを。…それもこれも全部、今となってはどうでもいいことだね。
「良き半年間でした、ありがとう。……握手!」
と私は笑顔で、威勢よく右手を差し出す。
「…はい、ありがとう。」
差し出した私の冷たい右手が、彼のぶあつくて温かい両手に包み込まれる。
あの日の強引さとは正反対な、そっと包み込むようなやさしい両手を、私はきっと忘れることはできない。
-別れのお味噌汁