【日記】立ち飲み屋にて
狭くて、知らない人との距離が異様に近い飲み屋
それは私の天敵で、全力で避けてきた場所。人生でそのような場所に行ったことは数えるほどしかない。前回は恋人が地元に連れて行ってくれたとき、前々回は一人旅のとき…と、旅先の知らない土地でしかほぼ行ったことがない。しかも、いつ行ったかを明確に覚えているくらいには行っていない。
先日、恋人を紹介するために幼馴染の住む街を訪ねた。「恋人を紹介する」という行為は完全にエゴで、私と幼馴染は好きな人たちに囲まれて楽しいに決まっているが、紹介される彼氏側からするとなんとも言い難い会だろう。複数人の場を回すこともできないのに連れてってごめんねという申し訳なさと、わがままを快く聞いてくれてありがとうという感謝と、あれこれ思いながら電車に揺られ向かった。
私は早いところ恋人に自分の友人を何パターンか見せておきたかったし、幼馴染にも自分の恋人を見せておきたかった。理由は色々あるけれど、それについては話し始めると長くなるのでまた今度にする。
ともかく、楽しいかどうかは二の次で、会ってもらうことが目的だったということだ。関わり方が異なる人たちを一度に相手にするのは苦手で、幼馴染がせっかく振ってくれた話題を案の定何個か潰してしまい、心の中で酸っぱい顔をした。人の貴重な時間を溶かしている…。
そんなことを思っていると、途中で幼馴染が2軒目に誘ってくれた。立ち飲み屋に行こうというその提案に、私は二つ返事で「行きたい!」となるべく元気よく言った。この返事はスピードが大事、同時に明るさも大事。…と考える前に、私の反射神経が危機察知センサーを働かせて勝手に返事をしてくれた。あぶね。返事するタイミングを逃したら、行きたくなさが全身から滲み出てしまっていたに違いない。
私の恋人は1人で飲みに行って知らない人と仲良くなるような人だし、幼馴染カップルもそういう場所は好きだろうし、それで各々楽しんでくれたらいいなと思った。恋人にとってはひとりでふらっと立ち飲みに行くのとは訳が違うのだろうけど、それでもこのまま帰るよりは、あの街に行って良かったと思ってくれるのではなかろうか…という期待を抱いて。
立ち飲み屋。
1人ではまず絶対に行かないし、多分友達とすら行かない。その手の場所に一緒に行って楽しいのは高校の恩師くらいだ。小綺麗でスマートな初老の紳士を隣に連れていると強い。だけど今回は私は誰にもお世話になる訳にはいかないのだ。大丈夫かなぁと思いながら1軒目を後にした。
立ち飲み屋で夜も更けてきた頃、ルー大柴ばりのちぐはぐな英語と日本語を話すトリオがやってきた。イギリス人男性とフランス人男性、その2人にべったりとくっついている日本人女性。うわぁ、いきなりパンチ強い人たちがきた…と無意識に警戒心がMAXになる。
とりわけそのトリオの女性がすごかった。幼馴染が、その人の気配を感じた瞬間に「苦手な人なの」と言うので何かと思ったら。
よく言えばセクシーでエロい雰囲気の美人なお姉さん。悪く言えば、性欲で塗り固めたような顔のお姉さん。あまりにも物欲しそうな恍惚とした表情をしているので、まじまじと見てしまった。(あの顔の写真で大喜利したら、間違いなく盛り上がる)
酔っていてよく覚えていないが、確か全人類オトモダチとか言ってたっけ。外国人ガイ2人に抱きついているこの低俗そうな美女と、全人類友達…。寂しい人なんだなぁ…と哀れになった。そんなに自分の縄張りを主張しなくても、誰も奪いやしないのに。その女性が幼馴染とグラスを合わせたときの、一瞬牽制し合うような視線のやりとりや仕草に、私は縮こまった。うぅ、おっかね!
きっと。そういう普段は関わりたくないと思うような人も「ここでは全人類オトモダチ」なのが、立ち飲み屋の良さなんだろうなと思う。カースト制度こそないものの、現代社会も一応分断されていて、それに慣れきっている私は無意識に人をジャッジしているのだ。目の前にいる人間が、どこに属する人なのかわからないと怖いし関われない、という調子で。全人類オトモダチの人はそんなことはしない。
アマゾンの奥地にある村で、知らない民族たちが大集結して祭りを開き、もみくちゃになりながら乱交するのだという風景を思い出した。ヒトって本来それくらいのもんだよな、人類みんなオトモダチ。ちょっと行きすぎた想像をしたけど、立ち飲み屋はそういう「誰でも友達」マインドを持って行くべき場所なんだろうな。立ち飲み屋ってもしかして、世界平和か?
…うーん。
でももしほんとにそうだったら、私はとっくに立ち飲み屋のことを好きになっているだろう。好きになれないってことは。
私は立ち飲み屋から発される「気」がだめだ。いろんな気が集まっている。誰でも友達という建前の裏に引っ込んでいる諸々の人間関係が透けて見えてきて、事前察知してしまう。そこに入りたいという意欲も勇気も、観察すればするほど失せていく。
あぁ…気付いたらあの低俗系美女が目の端でおばさんと戯れてる。恋人は後ろで知らない人と談笑している。幼馴染はトイレに行って奥で話し込んでいる。その間私はなぜか幼馴染の彼氏の禁煙話を聞いていた。もっとするべき話があっただろうに。
タイミングってなんでこうも噛み合ってしまうのか不思議なもので、「タバコ吸います?」なんていう質問さえ降ってなければあの日は平和だったのに。そこで、恋人がタバコを吸っていることが明るみに持ち出された。それで私は、ちょっと前から怪しんで恋人の机の上に置いてあったタバコの本数を数えてたことを、うっかり自白してしまった。
幼馴染に「メンヘラ怖い〜コンドームの数とか数える女じゃん〜」と言われながら、元彼のコンドームを数えてたことなんて全然あるなぁと思い返した。あのときはちょうどそれが正確に把握したいテーマだった。別に数えたところで何を指摘する訳でもなく、何個減ったな、とただ眺めていた。そういう人間の狂気を指摘するのってまあ快感だよね。私は自白してしまったことよりも、袋叩きにできるエサをそこにばら撒いてしまったことに後悔した。
いつか恋人に「タバコを吸う人になったら別れる」と言ったことを思い出す。あのとき彼はなんて言ってたっけな。そんなこと思い出したって意味ないんだけど。今日の彼はもう昨日の彼ではないし、今日の私ももう昨日の私とは違うんだから。人が放った言葉の有効期限は、思ってるよりずっと短い。
「タバコだけは無理!やだ!」と私が言う。
「やめへん!」と恋人が言う。
2人きりだったら絶対こんな勢い任せに言い合ったりしない(できない)のに、なんなんだこれは。立ち飲み屋という場所のせいか?
私の中では恋人足切り条件ぶっちぎり1位にランクインする「喫煙」。私が武士なら速攻で刀を抜いて構えるような話題を、そんな生ぬるい茶番にされてしまう、ここは立ち飲み屋。
「喧嘩は向こうでやってきて〜」と幼馴染に茶化されて、またエサを撒いてしまった…と気付く。もう何に無理って思ってるのかわからなかったけど、全てが無理だ………
不穏な空気はすぐに去って、フランス人ガイを中心にチンチロが始まる。ルールは全く知らないけど、聞く気力も起きないしなるべく存在の薄い空気と化したかった。飲み慣れている恋人はちゃんと終電を調べてくれていて、「また来てくれなきゃコロス!」と幼馴染に言われながら別れた。そんな幼馴染は、ラスト1杯だったネクターを私に譲ってくれたんだよな、さりげなく。
帰りの電車の中でうとうとしながら、恋人が連れて行ってくれた京都の立ち飲み屋で会った美しい金髪のお姉さんの溶けるような眼差しをぼんやり思い出していた。吸い込まれそうな瞳、美しい鼻筋、薄く結ばれた唇、陶器のような白い肌…。いつまで経っても不思議と褪せない記憶の中のお姉さん。
あんな美しい人に巡り会える可能性を天秤にかけたとしても…もう当分立ち飲み屋に行くことはなさそうだ。こりごりよ。
全てが無理すぎました、
立ち飲み屋。
2024.09.24