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人生の交差点


朝練を終えた生徒たちが次々と集まる朝の教室。
夏の蒸し暑さと、若い汗の匂いと、シーブリーズの香りが入り混じった空気は、今はもう嗅ぐことのない昔懐かしい匂い。あの空間も学校も全然好きじゃなかったけど、もしも今あの場所に立ったら、記憶の波に襲われて、懐かしさに泣いてしまうかもしれない。

いわゆる田舎のマンモスヤンキー中学に通っていた私は地味で真面目な"良い子ちゃん"で、学級委員とかやっちゃう正義感の強いタイプ。空気が読めなくて一軍メンバーから裏でこっそり馬鹿にされるような、そういう子どもだった。意地っ張りでプライドが高く、クラスの隅っこで目立たないようにじっとしているような賢さは持ち合わせていない。変なところで出しゃばるので、絶妙に浮いていた。

中学の荒れっぷりは凄まじく、夜中に窓ガラスを割って警察沙汰になったり、女子生徒が妊娠して全校集会が開かれたり、先生をいじめてノイローゼにしたり、3階から人が落ちて救急車がきたり、とにかく毎日が騒がしかった。

こんなところ、さっさと出てってやる。
そう胸に誓っていた私だが、クラスにたったひとり心を許せる友達がいて、だから学校に行くのは辛くなかった。

小柄で、武術が得意で、艶やかな黒髪ショートの女の子。あの霹靂とするような教室の中で、その子だけが私の心の居場所だった。その子とおしゃべりをしていると騒々しい教室の雑音が耳から遠ざかり、不思議と穏やかで平和な空間に変わるのだった。

あのとき仲良くなれてよかった、と
当時も今も、変わらずにずっと思っている。


その子についてまず思い出すことといえば、長くて豊かなまつ毛。私はその美しいまつ毛が好きで、いつも隣で眺めていた。ちょっぴり羨ましいな、と思いながら。(長すぎるが故にいつもホコリをくっつけていて、毎日「またゴミついてるよ」って言ってた気がする)

彼女はいつも淡々と、さっぱりとしていて、ハキハキと豪快に笑う人だった。私みたいにぬるっと色々なものを誤魔化して生きるような真似は絶対にしない。話の筋が通っているし、几帳面で、意思があって、白黒はっきりしている。そんなところが昔からとても好きだったし、私よりずっと大人に思えた。

卒業後、私たちは別々の高校に進学し、少し疎遠になった。私は高校がとても楽しかったし、大学は県外に出るつもりだったので、中学時代の友人関係がなくなることも特に寂しいとは思わなかった。

しかしご縁とは不思議なもので。

今、12年越しにこうしてその子について文章をしたためている。あの頃の私たちがそれを知ったら「うちらの友情すごくない⁈」と、盛り上がるんだろう。間違いない。


高校卒業後、私たちはお互い東京の大学に進学し、同郷のよしみでたまにご飯に行くようになった。就職して私は東京に残り、彼女は地元に帰ったが、連絡がマメなその子のおかげで今も関係を続けることができている。(気分のムラが激しい私のせいで連絡が滞り、不快な思いをさせてしまったこともあったけれど。彼女の寛容さには頭が上がらない。)

そんな私たちだが、どういうわけだか同じようなタイミングでよくない恋愛くじを引いてしまっていたようで。同じくらいの時期に付き合い始めた恋人と、お互いそれなりに長く付き合い、同じようなタイミングで、同じような理由で別れた。ついこの間のことだ。

それぞれの事情はあるけれど。本当は互いに互いを羨んだり、嫉妬したり、そういう気持ちも少しはあっただろうけど。それでも時を同じくして、この20代後半を自分の意思と力で闘っている友がいること。それはきっと互いにどこかで心の支えになっているんだろう。

彼女は強いし、私も強い。
そのことが、なんだか誇らしい。

人生の交差点。
道は分かれ、そしてまたどこかで交わる。
かつて共に過ごした時間があること、それは隠し味のように、私たちの再会にちょっぴり特別な深みをもたらしてくれた。今こうして、あのときよりもきっと少し深いところで仲良くなれたことは、私の人生における大事な財産だ。

近いようで遠い彼女の道と、私の道。これからも近づいたり遠ざかったりしながら、またどこかで強く交わる時がくる、そんな予感がする。

明日は久しぶりに彼女とデートに出かける。
何を着ていこうか、何を話そうか。

寝る前の時間が、いつもよりちょっぴり特別だ。

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