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インド旅|はるちゃんが風邪を引きました。


旅先での風邪は辛い。

女2人のインド旅。
どちらも体力があるタイプではないので、体調不良にならなかったらそれこそ奇跡。どうせ思い通りにはならないからと計画をほぼ立てないで旅をしていた。疲れが溜まってろくなことはないので昼寝をする日も結構あった。お腹を壊しても、熱を出しても、恨みっこなし。それが私たちの旅の掟。

安宿に、安い食堂。不衛生極まりない生活を送っていたけど、想定していたひどい下痢や腹痛もなく旅は順調だった。雲行きが怪しくなったのはタージマハルがあるAgraに移動してからのこと。 

宿を決めずに旅をしていた私たちは、その日の宿も前日に適当に決めた。タージマハルが見える景色が素敵な安宿。その日は灼熱の太陽がジリジリと照りつける中、慣れないサリーで広大な敷地をひたすら歩き回り、すでに熱中症の気配を感じた。

圧巻のタージマハル

このあとすぐに、夜までたっぷり動き回ったことを後悔することになった。宿に帰ると、はるちゃんの顔色が悪い。寒気がすると言う。おでこに手を当ててみると…これは熱だ。

こんな日に限って宿はエアコンのない部屋しか空いておらず、予約サイトには使えると書いてあったホットシャワーも使えないという悲劇。灼熱の国といえども、乾期の夜は冷える。苦戦しながらシャワーを浴びている間に、はるちゃんは化粧も落とさずに寝てしまった。

さっぱりしたので眠りにつこうとしたが、窓を開けると小さな虫が大量に入ってくるし、どこかでかけている爆音のクラブミュージックと、定刻になると放送されるコーランの読経がうるさい。天井についているファンの音も相まってなかなか寝つけない。この日の宿はダブルベッドで、先に寝ていたはるちゃんに掛け布団はほぼ全部持っていかれている。

私は寝るのを諦めて部屋を抜け出した。屋上のレストランの鍵を勝手に開け、テラスに侵入する。インドだし、見つかったって誰も怒らないでしょう。テラス席に座って、真夜中のタージマハルを眺める。そういえばこの旅の中で初めての、一人きりで過ごす時間だ。暗闇の中にぼうっと浮かび上がるタージを見ながら、全身の力が抜けていくのを感じた。

考えてみれば当然だ。5年ぶりの海外、初めて旅を共にする友人、それにここは混沌の国インド。正気を保とうという強い意志と、有り余るアドレナリンだけが、私をここまで連れてきた。息を張り詰めていたのだ、今この瞬間までずっと。

ようやく訪れた静寂が身体に沁み渡る。ここには誰もいない。遠くに見えるタージマハルがまるで私だけのために存在しているかのような錯覚を覚える。今私が目の前に対峙しているこの巨大な愛の墓は、約400年もの間このAgraの地に立ち続けてきたのだ。その膨大な時の積み重ねの先に、私がいる。

目を閉じれば夜の闇に溶けて、古都の風景が浮かび上がってきそうだ。

真夜中のタージ
朝靄に浮かび上がるタージ
夕暮れ時のタージ


タージマハルは宮殿ではなく王妃の墓だ。帰らぬ人となった王妃に王様が贈った、この世の贅の限りを尽くした愛の贈り物。マーブルストーンと呼ばれる総大理石の建物は汚れや衝撃に強く、気が遠くなるような月日を重ねた今でも白く輝かしい。

壁面にはルビーやサファイヤなどの眩い宝石が埋め込まれており、花の模様を形作っている。そして光の当たり方により、時間と共に刻々と姿を変えてゆく。なぜ建物に宝石など埋め込む必要があるのか。
-亡き妻への愛の贈り物だから。

愛、というかこれは狂気だ。22年の年月、2万人の職人、巨額の国費。多くの犠牲の上に成り立つ愛。無宗教な私は、死んでからこんなものを贈られても、と思う。そんなに愛していたならば、生きているうちに愛し尽くしてほしかった。本当に愛していたのなら、愛する妻の遺伝子を引き継ぐ息子に、残された者の未来に愛を注いでほしかった。(その息子には、金の使いすぎで幽閉されているのだから残念すぎる)

最強のマーブルストーンに触れる
宝石が埋め込まれている壁面


どれくらいぼーっとしていただろうか。数日前にスマホを盗られている私は、今が何時かすらわからない。不気味に響くコーランの音程やリズムが脳を揺らして気が狂いそう。400年前のインド国王の価値観なんてわかるはずもないのに、無駄な妄想をしてしまった。部屋に戻って、浅い眠りを繰り返した。

結局うまく眠れず、夜明け前にまた起き出して同じ場所からまたタージを眺めた。朝は霧がひどく、朝日は拝めそうもない。昔フランスで見た、朝靄の中にぼんやりと浮かぶモン・サン・ミシェルみたいだなあと思う。あの感動はもうない、あれから私は旅をしすぎたから。

しかしエアコンがなくても、ホットシャワーが出なくても、こんな幻想的な風景が見えるホテルに1,000円かそこらで泊まれるなんて。インドはどうかしている。

朝の街


はるちゃんは昼前になっても泥のように眠っている。そこで私はこの旅で初めて一人で外に出ることにした。スマホがないのが不安要素だが、一人で街を歩いてみたくてうずうずしていた。

宿の前は引くほど治安が悪くて、野良犬たちがお出迎えしてくれる。通りに出て一歩でも立ち止まってキョロキョロしたら、たちまちインド人たちに取り囲まれて「どこに行きたいんだ」「何に困ってる」「リキシャに乗れ」などと質問攻めにされるので、強い意志を持って歩を進める。(池袋駅構内の人混みを最速で突破するときみたいに)

チャイ休憩をしたあと、水を買って早々に帰った。初めてのおつかいくらいの短いお出かけ。だけどなんだか誇らしい。このままリキシャを捕まえて対岸の方まで一人で行きたい気持ちに駆られたけど、さすがに勇気が出なかった。

タージマハル前の目抜通り


宿に帰って、さっき買った水ではるちゃんのポカリを作った。はるちゃんはよく寝ている。フロントで支配人と交渉し、宿泊料金の半額で夕方まで部屋を使わせてもらうことにした。お腹が空いたので、この日何度目かわからない屋上のレストランで卵カレーを食べた。

平日のレストランは誰もおらずガラガラだ。スタッフの人と世間話をしながら、観光にも行かずタージを見ながらインド人とだべってるなんて贅沢な時間の使い方だなあと思う。はるちゃんの胃に優しそうなオムレツを買って、部屋にお届けした。

ゆで卵が丸々2個入っていた

結局はるちゃんは微熱で夕方まで寝ていた。旅の疲れと栄養不足で免疫が弱っているところに、長時間炎天下に晒されたことで熱中症もありそうだった。

はるちゃんの額に冷えタオルを置きながら、看病しようにもできることがあまりないのは辛いなと思う。オムレツはなんとか食べれたようで、私は一安心した。風邪に栄養は大事だ。残りの時間は日記を書いたり、ホテル前の路地をうろうろして過ごした。

人懐っこい女の子とハイタッチ
穏やかな1日が終わってゆく


はるちゃんは体調を崩して1日潰れてしまったことを申し訳なく思っていたみたいだけど、私はこうして一人の時間も過ごせたことがちょっと嬉しかった。不謹慎でごめん。

はるちゃんが風邪を引いたことすらも私にとっては旅のスパイスで、ちょっとわくわくしてしまうようなことだったんだ。もっとやばい病気だったとして、病院に連れて行くという事態になっていたとしても、きっと楽しいと思ってしまったと思う。

そうだ、次は一人旅をしよう。水を買いに行ったあの足で、そのまま一人でふらふらとどこかに行ってしまいたいと思ったあの気持ちに忠実に。行き先の当てはある。

一人で旅をしたら、私はもっと別人になると思うのだ。いつも無意識に誰かの目を気にして、一応は私らしく振る舞って、それがいつの間にか本当の私になってきた。それでいいんだけど、選び取ってこなかった別の私らしさが、脊髄の脇あたりに眠ってもいる。それは磨かれていなくて、未熟で、よっぽどのことがなければ覚醒することはない。

でも、遠く知らない地で一人きりなら。これまでの人生で選び取ってきた私らしさなんか通用しない場所なら。私はまだ知らない私自身に出逢えるかもしれない。

人は、足元が大きく揺らぐような事態に直面したとき、自分を変えざるを得ないことがあるだろう。幸福も不幸も一生は続かないと、いつか夜は明けるとただひたすらに信じて、踏ん張っているうちに時が過ぎて、嵐が過ぎ去ったあと自分に目を向けたら全然違う人間になっていた。…ということが私にも何度かあって、あんな思いはもう二度としたくないとは思うけれど、今の自分に出逢えて良かったと感謝の気持ちも同時に強く感じる。

まだ見ぬ自分に出逢うこと、それが私が人生で追い求めていることの一つなのかもしれない。

はるちゃんが風邪を引きました。
私は一人旅へと駆り立てられました。

思うようにいかないからこそ、旅はわくわくする。
まだ見ぬ自分を求めて、また旅をしよう。

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