わきもとさき個展「わたしはおうちのお当番」@"相模原から上がる狼煙"パープルームギャラリー
ついにきたパーギャラ!
しかも、わきもと氏の個展である
最初に書くとこの場所にあるのは年内いっぱいらしいのでとりあえず行ったらいいんじゃないか
くそあつい中 日本初の本格的アートフェアこと「東京現代」(終了済)の会場からはるばる相模原まで遠征した
といっても帰り道みたいなもんなので返す刀で的な感じである
ちなみにパープルームギャラリーは自分にしては珍しく再訪である
が、例によってここもけっこう到達しにくいギャラリーなのでその辺のこつを含めて書く
ちなみにもう終わってるが
こんなこともやってた模様
演歌と寿司と美術のハーモニー!! くっそ行きてえ!
相模原から上がる狼煙 パープルームギャラリー
公式:https://parplume-gallery.com/
何がしんどいって、ここは単純に「遠い」
しかも相手はあの相模原だ
正直、相模原は行こうと思えば無限にいけてしまうほどでかい
(まあ多摩西部はわりとどこもそうだが・・・
まずそもそもパープルームってなんねん
みたいな疑問ある人もいる可能性わずかにあると思うが
それは各自しらべてほしい
しょうじきめっちゃ大変だ
が、いちおうGPT4君にまとめてもらったので以下
どうやって行くか
①何とかして相模原まではいく(JR横浜線)
②パープルームギャラリーにいく
この②だが、最初に行ったときは素朴に歩いていった
が、片道25分くらいとgoogleマップにいわれるのでとけっこうだるい
なのでいまとなってはバスを使ったほうがいい
夏だし、片道くらいはぜいたくしていいだろ
ちなバス停はここ
ギャラリーあるある 前を素通りする
何回も言ってるが(言ってたか?)ギャラリーというのはとにかく自己主張をしない or してても京都のスタバかよみたいなところある
なので実はもうついてんだけど、気づかずだいぶ行き過ぎるみたいなのが頻繁におきる
少なくとも自分は80%くらい素通りしてる(残り2割は入口がわからんやつ)
パーギャラもその例に漏れない
まあじゃっかん助かるのは相模原は建物密度がそんなに高くなく、見逃し率が他より高くないかもしんない
わかってる? これやで、これ
ただ(これが異常なとこだが)、パーギャラの場合、大人気で路上まで人があふれる場合もあるので、ラッキーなら見逃しはない
ここが相模原、しかも徒歩25分って立地を考えるとくるってる
展示について
このギャラリーの展示は毎回ステートメントがしっかりある
これこれこういう狙いをもってやった、や、こう思ってやってたんだけど今わからんくなってる、など、けっこう正直である
しかもだいたい当事者(作家本人、あるいは展示企画者)が自分の言葉で書いてる
そもそも現代美術は文脈性が高く、ぱっと見わからんものを扱うことが多いんだから「これをやった」くらいは説明してくれと思う
ただの悪口だが、ギャラリーでチラシもらってステートメントはなんなんだろうと思ってみるとインディペンデント・キュレーターとかいう人の「~と読み取ることもできる」的に結ばれた謎の文章をたびたび読まされる
なんで他人が作家の心の中を詮索した文章読まないといけないのか
いやそこ本人に聞いてよと思うんだが、実は仲悪かったり関係破綻してたりするんすかね 謎だわ
関係ない話しすぎてるが、本展の作家について
簡潔にもほどがある
展示風景
当日は作家在廊しており、いろいろ話したのでその辺の話と感想
まず前提として同作家の展示はこのギャラリーで(4年ぶり)2度目であり、それを踏まえた話をけっこうしてる
↓前回の展示については以下を参照
が、実は4年前の展示は見てない(今回出かけるにあたって予習として冊子は事前に買って読んだ)
そもそもそのころパープルームの存在をぎりぎり知ったくらいなので展示に行くのは因果的に無理
で今回の展示はこんな感じ
そもそもこれは何なのかという感じだが
なので、作家の身の回り、生活から出た残滓が構成されたもの、といえばいいんじゃないかと思う
世間的な表現でいえばゴミだが、現代美術ではふつうに作品になりえる(し、歴史的にもたくさんそういうのが作られてきた)ため、手法としては王道だ
で、いきなり細かいところでアレだが最初に思ったのは「枠ついてる」という点
なんだろう、木の枠に入っただけで、一気に「作品ヅラ」している感じになる
額縁的なものの効果がやばい
どんだけ脳みそが「四角くて枠に入ってるのはびじゅつさくひんです」という調教をされてきてるのかの証拠だわこいつは
ちな木枠はアラン(パープルームの人)とかに作ってもらい、色は作家本人が塗ったそう
ゴミがゴミにちゃんと見える
さっき身の回りのゴミとかを使って作品を作るのは王道的なことを書いたが、じゃあそれを今更やって何が違うんですか、みたいな話になるが、この作家の作品はとにかく迫真性がある 真に迫ってる
何を言ってるかっていうと、ゴミが包み隠さずゴミ感ある
ぜんぜんよそ行きの顔をしておらず、「おうち」にいるときの顔のまんま
もうちょっと取り繕ってしまうと思うが、あんまりそう見えないのでこれは相当な破壊力がある
たぶん、これらの作品って「ふつうに生理的にイヤ」な人いるだろう
しかし作家はこの「嘘」という問題について自覚的で
自己の作品でも「相当うそをついている」と明確に述べていた
具体的にその話をしたのは1枚目の写真に写っている平面作品について会話したときで、「わざわざコロコロの紙を短冊状に切って紙に貼ってゴミを知散らすようなこと」を本当はしないだろう、という話だった
そこには作為が働いてて、だから自分の作品もまた嘘である、ということを作家は述べていた(意訳)
その作品のタイトルには「嘘つきなわたし」という言葉が入っている
でもけっこう抑制的じゃね?
こういうことをすると「じゃあおれはもっとゴミを散らかしてやるぜ!」みたいな逆方向の嘘をつきがちな気もするが、そっちにも行っておらず、全体としては抑制が効いている(と思う)
オレ頭おかしいぜ!というか
「元気、陽気、狂気!」みたいな感じはあんまりない
正面からとったつもりだったんだけどめっちゃ斜めだな・・・
この作品なんかもすごくしゅっと収まってて統制がとれてるようにみえなくもない
すのこ多くね?
けっこうすのこが多く登場していた
これについてはよくわかるんだが、ホムセンで売ってるすのこは法外に安い
いや最近いってないから違うかもしんないけど、とにかくちょい前はやたら安かった記憶ある
むしろ、ただの木よりやすい
よく現代美術で色を塗ったキャンバスに無垢の木材を配置した作品とかがあるが、あれはけっこういい木を使ってるように見える
いっぽう、相模原では(どこのどんな木がここにたどり着いたのかもわからん)すのこが使われる
いい対比になっていると思う
もしかして内臓なのでは
という話もした
これは完全に自分の思い付きだ
話すのにいそがしくて肝心の作品の写真をとってないが、「ルーム/隣り合うかたまり」という作品があり、そこでは麻布に包まれ逆U字に垂れ下がる何かと、そのうえに歯ブラシがぶら下げられている
これをみたとき「人間は一本の管である」(by稲垣足穂)を思い出して、上に歯ブラシがあるってことはそこが口で、その下の麻布のあれはつまり腸なんじゃないか説
その気持ちでみると、急になんだもハラワタに見えてきたが、作家に聞いてみると「それは気づかんかった」ということなので自分の思い込みだと思うが、生活というのはつまり消化と排泄の繰り返しだからそう見えてもよいような気がした
という感じ
なので気になる人はいってみてくれよな!
あと冊子は現場で買えるので買ったほうがいいなりよ
ちなみにバックナンバーはワタリウムの地下(オン・サンデーズ)でも買える(オンラインも)
残り少ないんであるうちに見に行きたい