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日本人は無宗教ではなく「神道」である

はじめに

はじめまして!無知の大学生と申します!
僕はヨーロッパとアメリカを3ヶ月間バックパッカーとして旅をしています。
これから考えたことをアウトプットしていこうと思い、今回は最近のマイブームである「神道」について考えたことを記事にしました。

これはなに

はじめまして!無知の大学生と申します!
僕はヨーロッパとアメリカを3ヶ月間バックパッカーとして旅をしています。
これから考えたことをアウトプットしていこうと思い、今回は最近のマイブームである「神道」について考えたことを記事にしました。

結論から言うと、自分のことを無宗教だと思っている日本人は皆神道なのではないか、という気づきです。

本記事では、まず宗教としての神道の成り立ちを説明し、その後、神道の原点と現代の神道の共通点を見出していきます。そして最後に、今日の神道は神道の原点に回帰しているのではないか、という仮説を展開していきます。

原始的な神道

神道は元々、縄文時代から弥生時代にかけて(石器時代からとも)日本に住み始めた人々が日常的に感じていたもの、大事にしていたものを先祖代々受け継いで成立した信仰体系です。

古代の日本人は、説明のつかない自然現象をすべて神様の仕業としました。木や山、川など様々なものに神様の存在を見出し、これがアニミズムへと発展していきました。当時の人々にとって、説明のつかないことは恐れの対象でした。現代では科学が説明してくれますが、古代では「神様」という概念でこれらを理解していました。

神様との共存・繁栄のために(時には神の怒りを鎮めるために)、様々なしきたりが生まれました。神体に向かって手を合わせる、占いをする、食べ物に感謝するなどの行為です。これらは当時の人々にとって、宗教的な規律というよりも、日常に溶け込んだ自然な行動でした。

仏教の伝来と宗教としての神道

6世紀に仏教が大陸から伝来したことで、神道ら大きな転換期を迎えます。これは私の仮説ですが、「仏教」という規律や規範を持つ「宗教」という概念の伝来によって、当時の日本人は自分たちの伝統的な行い(神道)も宗教として再解釈し始めたのではないでしょうか。「今までの俺たちの行い(神道)も宗教と呼ばれるものなのではないか?!」と。
これは言葉が概念を形作る典型的な例といえます。

興味深いことに、現在我々が想像する神社の姿(本殿、拝殿、鳥居)は、仏教伝来以前には存在しませんでした。これらの建築様式は寺院を模倣したものです。それ以前は、木や岩それ自体に神力を感じていました。現在でも木や岩にしめ縄が見られるのは、この名残といえるでしょう。(なお、現在でも神様の本体は山や川にあり、神社の建物は一時的な住まいとされています)

その後、神仏習合により神道と仏教の境界は曖昧になっていきました。この状態は明治時代まで続き、世界的にも珍しい宗教の共存例となりました。(詳しくは島田裕己先生の「神道にはなぜ教えがないのか」をお勧めします)

神道の国教化と解体

その曖昧になった神道と仏教を切り分けたのが、明治政府です。外国を視察して宗教によって国民同士の繋がりを強め、道徳規範を教育し国民を統合する西洋諸国を参考に明治政府は、神道を国の宗教に定めて富国強兵を試みました。これが国家神道と呼ばれるものです。

そして戦後この国家神道が、日本を戦争に導いた背景だとして、GHQによって政教分離が行われ、神道教育をやめ、現在の宗教法人としての神道になりました。

現代の日本人と神道

我々は宗教を尋ねられると思わず無宗教と答えてしまいがちですが、実は意外と神道的な習慣を実施しています。

新年には神社に手を合わせて初詣をして、おみくじを引きます。3月には雛人形を飾り、5月には鯉のぼりをあげ、子供の歳に応じて七五三を祝います。

またご飯を食べる前に「いただきます」「ごちそうさまでした」と、食する命に感謝を伝えるのも、自然からの恵を大切にする神道らしい行動です。

目に見える習わしだけではありません。神道は私たちの考え方にも影響を与えています。
例えば、ゴミのポイ捨てです。日本人がポイ捨てをしない理由は様々だとは思いますが、そのひとつにバチが当たるから、というのがあると思います。バチを与えるのは誰でしょうか。そうです、神様です。八百万の神様がどこで見ているか分からないから、ゴミをポイ捨てするのはやめておこう、というのも神道への意識の表れといえます。

また、日本人の「謙虚さ」も神道的マインドの一つです。古神道で重視される「心の落ち着きを保つこと」が、現代では「謙虚さ」として表れ、外国人から「ポライト」と評価される要因となっています。

さらに、仏教式のお葬式やキリスト教のクリスマスなど様々な宗教を受け入れる姿勢も、八百万の神を認め、信じる柔軟な神道の考え方です。

このように我々日本人は日常的に無意識に神道に関わっているのです。

古来と現代の神道の共通点

そしてこの「日常的に」「無意識に」というのは、神道の原点に近いかたちなのではないでしょうか。

先程古来神道、宗教という感覚はなく、人々が日常的に行っていた行動であるというふうに説明しました。僕はこの古来のかたちが、仏教伝来によって宗教という枠に当てはめられた中間の時代を経て、現代に戻ってきただけなのではないか、と思うのです。

つまり、我々日本人が無宗教であるという感覚は、神道の原点にもっとも近い感覚なのです。この観点から考えると、信仰する宗教を尋ねられた際に「私は神道です」と答えることが、正確な答えなのではないかと思うのです。

この発見は、今まで自分は無宗教であると考えていた自分にとって、神道ひいては宗教について深く理解するきっかけになりました。

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