褒め言葉の意図と、思わぬインパクトを考える。<NVCシリーズ③>
<今までのNVCシリーズ>
【NVCとは?】基礎まとめ・動画や資料付き<NVCシリーズ①>
共感コミュニケーションが私の世界観をどう変えたのか<NVCシリーズ②>
学童で働いていた時に、「褒めること」について葛藤を抱いていました。
褒められると嬉しい。
だから、人のことも褒めようと思う自分がいる。
その人ともっと仲良くなれたらいいなって期待が入ってたりもする。
そして子どもたちは「褒める」ととても嬉しそうな顔をするし、
余計に頑張ったりする姿が可愛いので「褒めたいな〜」って思ってました。
「100点取れてすごいね!」
「すぐに片付けできて、偉いね。」なんて。
でも、時にその褒め言葉をきっかけに、
相手との関係性や自主性をこじらせてしまう時がありました。
褒められる立場だった時を思い出すと、
「認めてもらえて嬉しいな」と言う喜びが生まれる時もあれば、
「また褒められるために、頑張らなきゃ。頑張らないと、褒められない。頑張らないと自分はダメな子なんだ」って思いを強くしたり、
「そんな褒めてるけど、どうせお世辞でしょ〜」なんてひねくれた気持ちを生んでしまうことも経験しています。
褒め言葉は時として
内的モチベーションを失わせてしまうことがあるし(参照:↓)
時として自己評価を揺らがします。(参照:↓)
「結局受け手の捉え方じゃん!」って意見もあるかもしれないけど、それでも褒め言葉のインパクトが「嬉しい」以外に実は色々あることを頭の片隅に置いておくのも大事ではないかと思うのです。
「相手との繋がりを感じたい」「相手の喜ぶ顔をみたい」「相手を認めたい」「相手をエンパワーしたい」そんな美しい意図があるからこそ、
「褒めること」への賛否両論は未だ絶えないように見えます。
私がここでお誘いしたいのは「褒めるな」ということではなくて、
「褒めることや、そのやり方によっては、思いがけないインパクトがあることを認めて、その美しい意図をどのように表現するのか改めて考えたい」
ということです。
改めて、あなたは、どんな風にその意図を表現したいでしょうか?
私の中で、出ている一つの選択肢はこちらです。
褒め言葉を「客観的評価」ではなく「相手の努力への敬意や、私の感情とニーズ」で表現してみること。
私は、「偉いね」「凄いね」って言われると、
嬉しくて頑張りすぎて、途中で自分の内的モチベーションがどっかに行ってしまったりもするし、逆に「そんな凄くないです」って言ってるうちに、「そうだよ。自分は凄くないんだって自信を失うこともありました。
そんな風に褒め言葉を受け取るのが苦手だから、私はできるだけ
「私の感情と、満たされたニーズ」で表現しようと挑戦しています。
NVCでいうニーズとは?
ここでいう「ニーズ」は一般的な意味とは違い、
「大事にしていること」だったり「豊かに生きるために必要なこと」。
例えばこれらのようなものです。
褒め言葉の代わりに「私の感情と、満たされたニーズ」
例えば、子供がお手伝いをしてくれた時に「えらいね」の代わりに
「手伝ってくれてありがとう。一緒に作業すると楽しいし、早く終わったからめっちゃ助かったよ〜。」と言ってみることができるかもしれない。
例えば、「あなたのピアノ、上手だね」の代わりに「感動したよ。音楽ってやっぱり楽しいね!」と言ってみることができるかもしれない。
「100点とったんだよ!」って見せてきたら「凄いね!頭いいね!」の代わりに「満点取れて嬉しいね、頑張ったんだね!」と言ってみることができるかもしれない。
評価をしない世界
NVCの世界感では、客観的評価のモノサシを横におきます。
その世界には「良いこと」も「悪いこと」もなくて、
「褒めるべきこと」も「叱るべきこと」もない世界です。
私は自分や人との繋がりを大切にして生きたいから、「評価」が生む分断に気を付けたいなと思ってるけれども、「凄いね」「偉いね」などの褒め言葉は癖づいているので、とっさに出てきます。「褒め言葉」という評価の視点から外れて、どんな言葉を自分は発したいのか、自分のなかで意識していることがあったので今日は書いてみました。
そうだ、今日はスーパームーンだとか。
たまには月でも眺めましょ。
<次のNVCシリーズ>
「嫌いな自分」を受け入れていく<NVCシリーズ④>