Warsaw was Lonely.
文字を読めるようになった頃からずっと、アブノーマルへの強烈な憧れがあった。好奇心の赴くままに、冒険、探索。常識と日常から逸脱する生き方・旅人の存在を本の向こう側に見て、私もこうなりたいと思った。
一方で現実は、地元の公立中学から地元の普通高校へ行き、大学も地域は違えど普通の所にした。人生の岐路に立ち、その選択をする度それが一般的正解ではありながら私が見た憧憬とは程遠いことを自覚していた。過去の、アブノーマルへ憧れた自分への示しは早いうちにつけておかなければならない。これが、過去に大学から1人の派遣実績もないワルシャワへ半年飛んでみた一番の理由である。
人生を定めることを強いられ、何となく未来が見えてくることに対する逆の不安という20代特有の病へ抵抗したい部分もあったのかもしれない。
ワルシャワでの生活では、日本人とできるだけ距離をとり、今まで構築してきた価値観と常識を意識的に見直すようにした。その結果についてはあまりにも内省的なものなので詳細を記すには及ばないものの、人間関係、生活態度への意識に変化が生じたことは確かである。語学力の向上はもちろんだが、それ以上に人の話・背景に集中力を傾けるようになった。何を言わんとしているのか、本当に伝えたいことは何なのか。そういう配慮をする事で人間関係を円滑にし、結果的に自分をより理解してもらうことができるようになった。SNSで私を見ていた人にとってはただ遊んでいるように映っているであろう日常生活も、夜な夜な必死で情報を集めて準備をし、なんとか相手のことを理解しようと食らいついた結果である。ただのうのうと過ごしているだけでは楽しむことはできない。
その結果、来る前に掲げた「9000km離れた友達を作る」という最大の目標は、これからを生きる理由になるほどに達成された。
旅行中に荷物が全て盗まれ、英語が通じない街を彷い幾年かぶりに風邪も引いた心身ともにどん底の時、友達がいたことでどれほど救われたか。
互いの母国での人間関係、将来、社会問題、そういう真剣な事に時間を惜しまず話した夜に私の心がどれほど軽くなったことか。
最初はシャイに見えた人でも乾杯を重ねる度に打ち解けていった事に、どれほどの悦びを感じたことか。
過去もコンテクストも、背負ったカルマも全く異なる人間とこれほどまでに深い関係を構築できたことが私の誇りである。
これから先、特に社会に出た後には今までと比べ物にならないほど難しく複雑な局面に対峙しなければならないことが増えるだろう。その時に、頭の片隅によぎる事になるであろう顔と言葉が増えた。苦しいのも、頑張っているのも私だけではない。
遠く離れた仲間も、それぞれのフィールドで運命に対して全力でもがいている。その存在がこれからを生きる上で多大な力を持ち合わせることを、私は知った。
「Satoに出会えてよかった。」
そう言われる度に、自分がここで足掻いたことは間違っていなかったと実感できた。そして、暗澹とした不安はどこでも何とかなるのではないかという茫洋とした希望に変わった。また、会わなければならないと思った。
1年前の自分が今の自分を想像できなかったように、大学院生として費やすこれからの2年間もまた、大きく人生が動く機会になる。何があるのか、どんな出会いがあるのかは分からない。だが、他者と現実に対して誠実に向き合い、今に全力を尽くすという至ってノーマルな努力をすればあの頃から今までずっと憧れた、アブノーマルな生き方をできると確信している。
これからも、全力で流れに抗ってみたい。
はじめ、この文のタイトルは''See You Again''にするつもりだった。だが、書き進める内に ''You'' がいつの誰を指し示したいのか分からなくなり5ヶ月前の自分を表す言葉にタイトルを代えた。"You'' に、未来の自分が包含されていることを切に願ってやまない。
9月25日
幾分か重たく感じるスーツケースを引きずりながら、少し広告が読めるワルシャワショパン空港にて
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