9000キロ離れた友達を作るために
ふたつのきっかけ
大学3年の8月に、4年後期から留学に行くことにした。
優秀な人しか行けないと思っていたが、講義で偶々一緒になった台湾人と仲良くなって、留学生は優等生だという先入観は消え去った。
家で飲むとき、大抵トランプやダイスを使って飲みゲーをする。「大きい!」「Call!」とか一緒に叫んで泥酔したり、まふ(からおけチェーンまねきねこの夜通しフリータイム。毎度地獄を見る)で朝の5時まで歌ったりしたとき、どこの国の大学生も同じようなもんだなと思った。
今年の3月で帰国するから、寿司をテイクアウトしてすき焼きを作るジャパニーズすぎる送別会はやったけど、小学校の時の転校生を送る会と違って今生の別れという感じはしなかった。夏に台湾に行った時は家に泊めてもらうし、一年契約の友人じゃない。彼らがどう思っているのかは分からないけど、僕はこれから日本で多少嫌なことがあっても台湾に友達いるもんねと思えるのが心強い。
もう一つのきっかけは、所属ゼミの指導教官が留学を推してくれたから。抵抗感として、僕の通っている大学は必修として4年後期までゼミがあるから留学をすると通常留年しなければならない。
でも、学部生時代のメキシコ留学ははほとんど観光のためだった教官の恩情で、4年後期のゼミに関しては適時ポーランドでの留学生活を報告(?)すれば演習単位をくれるらしい。優しい。
もちろん、
・他の講義単位を取り切る
・卒論を4年の前期で書き終わる
という特大制約付きではあるが、努力すれば留年を回避できる環境を用意してくれたことに感謝してもしきれないし、これは行くしかないと思えた。
協定校派遣への道
留学の手続きを始めたのは2022年9月。
僕は交換留学という、学費を自分の大学に納めれば無償で行けて単位も互換されるし、給付奨学金で格安で行ける制度で応募した。
その代わり、書類がめっちゃくちゃ面倒くさい。志望動機や語学要件、派遣先大学の情報や推薦書を掲載した25ページの書類を大学と3往復して、やっと11月にエントリーできた。
その学内審査結果が先週届いた。
合格していた。
いよいよ留学が現実味を帯びてきた。
準備
準備を始めたのが2022年の9月、渡航が2023年の9月なので、もう準備できる期間の半分が過ぎたことになる。でも、
・毎日英語に専念したいのに資金を貯めるためのバイトに苛まれるし
・特大制約があるから卒論も並行して進めなければいけないし
・8月には院試も控えているから対策しなければならないし
・ピアノ大国だから、演奏できる曲目を増やしたいのに練習できていないし
理想の3割もできていない。
同期が現在進行形で頑張っている就活と比べて、努力の進捗が可視化できないから本当に今やっていることが正しいのか不安になる。
こんなので留学行って果たして意味があるのか、ホームシックになるだけじゃないかと毎日不安と焦燥に駆られる。
だから、最初に志したきっかけを思い出すようにしている。
9000キロ離れた友達がほしいから。
留学から帰国したら院に進学し、すぐに就活をスタートさせる。研究も就活も、きっとうまくいかないことだらけになるだろう。
そんな時、遥か9000キロ離れた地で頑張る友達を持っていたら、なんとかなるんじゃないか。
準備作業はとてもめんどくさい。そういう時は理由をシンプルにして自分に発破をかけて、今できる最善の準備をして渡航したい。
全部自分で決めたことだから、最後まで責任を取りたい。
残りの半年死ぬ気で格闘するぞ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?