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マレーシア 二つの自由

大学入学当初の野望と方針転換

大学生になったら海外にいきまくると決めて、高校卒業から大学入学までの一か月で免許じゃなくパスポートを取った。

しかし、大学入学と同時に始まった入国・出国規制。海外はおろか、国内、なんならすぐ近くにある自分の大学にさえ容易には通えなくなってしまった。

仕方ないので国内の旅を中心に行った。これは逆にすごくいい機会だったように思う。一人旅のライフハック的なものが身についたり、日本にも全然カルチャーや風土が異なる地域があることを知った。歴史に造詣が無いので大抵どこか行くときは本を読んで事前知識をつけていくが、これが本当の修学旅行をしてる気分になった。


基本的に金欠かつ一人旅なので、好んでゲストハウスやドミトリーに泊まった。そういう所には共用設備があって、キッチンには自分のものに名前を書いておくためのマーカーがある。一年の秋に泊まった知床のゲストハウスは、そのマーカーで冷蔵庫に自分の名前と一言、それに日付を書く文化があった。
~2019年までは英語や韓国語、中国語などもちらほら。その中で、一番読めなかったタイ語に惹かれて、その日の夜バンコク行きの航空券をブッキングした。

 結局パンデミックはとうに収まることを知らず(2020年の時点で2022年の夏までこの状況が続くとは誰も思えなかった)、僕がブッキングした某航空会社(エ〇〇ジ〇)はしっかり倒産して3万円が還らぬものとなった。

それから僕の旅の矛先は島に向いた。理由はシンプルで、物理的に本土から隔離されていればよりカルチャーの差があると思ったから。
予想通り、というか予想をはるかに超えてそこは「異界」だった。長崎の五島、東京の青ヶ島、八重山諸島の島々。人間が生活を営むという点において、環境によってここまで差異が生まれることは想定外だった。

国内の行きたいところはかなり回ることができた。同時に、各地で旅人に言われた「海外はもっとすごい」という言葉を聞くたびに漠然とした憧憬を増大させた。

初の海外旅 マレーシア(9/19-27)


そんな中、2022年の6月頃からどうやら今年の夏は海外に行けそうだということになった。別にコロナウイルスが収まったわけではないが、まぁもういっかという感じで。普通に経済が限界を迎えていたわけだし。

そして僕がブッキングしたのはマレーシアだった。一番の理由は、安全、物価安、そして英語が通じるということ。留学を見据えて英語でコミュニケーションする練習を兼ねマレーシアを選択した。

旅の最中のことは書くと長くなる(実際に雑誌に寄稿するために書いたら1万字くらいになっちゃった)ので、最終日のことだけ以下に貼って終わろうと思う。


9/26
 どうしても最終日に行きたかったムルデカスクエアへ向かった。ムルデカとはマレー語で「独立」の意味を持ち、1957年にイギリスの統治から独立した際に初めてマレーシア国旗が掲げられ、「勝ち取った自由」を象徴する歴史的に重要な意味を持つ広場である。しかしながら、芝生の広場でそういった血気盛んさとは無縁に人々が思い思いに休日を過ごしている様子は考えさせられるものがあった。
 マレーシアは国教こそイスラム教だが、ハーモニカストリートが象徴しているように仏教とヒンドゥー教、それにキリスト教が混在している。国教のイスラム教以外を信仰している人々が4割で、マレー人以外の人種も3割以上いる。広場に面して建てられているスルタン・アブドゥル・サマド・ビルも、イスラム建築をベースとしながら西洋建築も取り入れられている。政治、歴史的にはマレー人を優遇する政策が取られたりした過去があるものの、私が滞在した一週間の間で対立構造や差別、どちらか一方が虐げられている様子は一度もなかった。
 無論、たった一週間の滞在で一国の事情を知ることは到底できない。しかしながら、メトロの車内で日本人が一人だったのに誰も気に留めなかったり、宗教施設の見学をした際に親切に案内してくれたとしても決して布教はしなかったりと、この国には「程よい他者への無関心」があるように感じた。これは一見冷淡に聞こえるが、根本の思想・人種が異なる者たちが一つの都市で生活をする半世紀余りの中で醸成されてきた「共創した自由」だと思う。
 日本は単一民族国家だからこのような問題に直面することはなかったし、独特の同調圧力が働くことで全体の意思を尊重する風潮、いわゆる全体主義があった。だが昨今、自身の生まれやコンテクストの違い、SNSを通して他者とは異なる意見や自覚を持ったり、様々なマイノリティーに対して注目する動きが広がっている。これに際し、自分の立場を獲得できる人もいれば、身の振り方に戸惑ったり自分のポジショニングに迷ってしまい、ひどいと精神的に病んでしまう人が多いことも事実である。これは決して弱い人間だからということではなく、同調圧力の軛から解放されたことの反動である。
僕が今まで旅をした日本国内における環境の差異は地理的なものだけど、同じ土地に住んでいたって各々のコンテクストは異なる。厄介なことにそれらは他者に見えない(見せない)から、さも同じ条件で競争しているような錯覚に陥ってしまう。よくアメリカのことを人種のるつぼというが、今や見た目ではわからないけど同じ街に(スラング的意味で)人種の異なる人が生活している日本も同じようなものだと感じる。
このような昨今の状況において、各々が信じたいものを信じ、他者の意思に干渉しないし、自らも迎合しすぎず意固地にもならず、融和を図っているマレーシアから学べることがあるのではないだろうか。お前がいいと思うならそれでいいじゃん、というわけである。
どんな街も夕日に照らされた瞬間は美しい。最終日にこの国が創り上げた平和の形を始まりの地で見ることができて本当に良かった。


やはりそこは期待を超える「異界」だった。だが、根底には今の日本に通じるもの、学べる事もあると感じた。


街のアート
夕日に照らされたムルデカスクエア

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