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ピアノという非生産的活動を続ける理由

ピアノを弾く、とは


ピアノを弾くことは非生産的、労力と対価が見合っていないことだ。
例えばコンクールに出場する場合、半年以上前から本番で演奏する数曲の為だけに練習をする。僕は普通の学生だから平日は2時間、休日は5時間くらいが限界だったがそれでも月に100時間、本番までに500時間以上の膨大な時間を費やして、たった10分で終わる本番に臨む。同じパッセージを何百回も繰り返し練習するけど、その成果を出せるチャンスはたったの1回きりのステージ。全部が本番で全部うまくいくこともあり得ない。


ピアノ歴

習い始めたのは幼稚園の先生が弾いてるのを見てかっこいいと思ったからだ。いくつか教室の見学と体験レッスンを受けて、なんとなく今のところに決めた。しかし、この先生が恐ろしく厳しい人だった。
「楽しんで弾けるようになりましょう」の対極のような、基礎練習あるのみ!飯を食う間も惜しんで練習!だった。先生自身が音大出身で音楽の世界の厳しさを知っているから、生半可な演奏は許さなかったし前回指導された箇所が直っていなければレッスンは中止だった。「褒めて伸ばす」が嫌いな先生なので「へたくそ!」とか「聞いてられない!」とか平気で言う。先生には理念があり、とにかく中途半端が嫌いな人だった。

小学校1年生の時から高校3年生まで12年習っていたけど、最初の6年くらいは向いてないと思ったし、何も楽しくなかった。他の友達は放課後に遊んでるのに自分は即刻下校してピアノ、ピアノ
ずっとずっとつまらないテクニック練習をして、楽しくて習っているというより義務の感覚だった。

何故辞めなかったのか考えても、特段の理由が思いつかない。辞めると言い出す勇気すらなかったのかもしれない。
でも、親から練習しないなら辞めなさいと言われる度に続けたいと言っていたので、ピアノを弾くこと自体は好きだった

厳しい指導のおかげで上達は早かった。習い始めたのがそこまで早くなかったけど、6年生の時にはショパンのエチュード10‐4を弾くくらいには成長していた。中学2年生の時には地区大会で2位に入れた。こんな怠惰で長続きしない性格の僕を辛抱強く指導してくれた先生には頭が上がらない。

高校進学と勉学


小学校の時はクラスに二桁くらい習っている人がいるけど、年齢が上がるにつれピアノをやる人口はどんどん減少していく。ピアノの先生に高校行くのでピアノ辞めますは通用するはずもなく、続行が決まった。一方で、めちゃくちゃ常識人の先生だから勉強を疎かにすることも許さなかった。僕が勉強の方で大学に行きたいことも知っていたし、何より音楽で食べていけるほど甘い世界ではないから。
中学3年の12月に発表会に出てから受験までの3か月はレッスンを中断して受験に専念したけど、翌年の3月までに譜読みする曲を出された

コンクール出場と挫折


高校生までピアノを続けてコンクールに出る人は音楽系で進学する人が多くなるので、高校部門のレベルは各段に上がり、僕のように片手間でやっている人では到底歯が立たない。
入試で休んでいた時に譜読みした曲を半年間練習し、ほかの先生たちにも見ていただいて出場したショパン国際コンクールの地区予選、結果は惨敗、何の賞にも入らなかった
どれだけ頑張っても結果が出ないことはある。
努力ではどうにもならないことがある。

自分には絶対に到達できない演奏をしている人を見て、ピアノで進学するつもりは毛頭なかったけどしっかり挫折した。
すがすがしいほどに負け、才能がないことを思い知った。

でも、頑張ってよかったと思った。
演奏を終えた後、先生が「今日の演奏はよかった」と言ってくれたから。
鬼みたいな先生がはじめて僕の演奏を認めてくれた。

それから僕は、「結果が出ない努力は無駄じゃない」と考えるようになった。それまでは結果至上主義なところがあったけれど、「頑張りぬく」ということは絶対に無駄にならないと身をもって体感した。
本気で頑張ったのに何の賞も獲れなかったけど、ずっと指導してくれた先生がやっと認めてくれたからそう思えた。

それから、先生はたとえコンクールでも絶対に他人と比較するような指導はしなかった。いかに自分に向き合い、自分の限界点まで達することができるかのみを追求させた。そのおかげで、人生をかけた努力をしている人に失礼になるので本気でやってないのに落ち込んだり才能や環境のせいにしちゃいけないと考えるようになった。

その後は東京の音大と藝大の先生が共催した音楽キャンプに参加する機会をいただいたり、高校3年生の最後の発表会では一番最後に演奏させていただいたりと、ピアノが心から楽しいと思えることが増えた。
習い始めてから10年が経っていた。

大学進学と現在

高校受験の時と同様に、高3の12月でレッスンを一旦辞めて受験に専念した。その間も自分で気になっていた曲を弾いたりしていた。
大学進学を機に地元を離れたため今はピアノを習っていないが、年に数回帰省した時にはレッスンに行って発表会には出るというゆるめの続け方をしている。今は先生と大人の友人のような感じで食事や飲みに行く。
現役の時よりだいぶレベルを落としているもののショパンの好きな曲を発表会で弾かせてもらえるから、やっと本当の趣味になってきた。今でもレッスンはめちゃくちゃ厳しくて、「へたくそ!!」とか「きたない!!」とか言われるけど、弾いててとても楽しい。自分にピアノが向いてたのかどうかは今でもわからないけど、頑張って自分は「向かせた」し、先生が「努力の価値」を教えて下さったのは間違いないと思う。

ピアノを続ける理由

以上のように、僕はピアノを習うことを通じてかなり大きなマインドの変化があった。それからこれは大学に進学して気づいたことだが、ピアノは言語を超越する。ピアノを弾けるという無言の共通事項には幾度となく助けられた。
練習の対価という点でコスパはめちゃくちゃ悪い。だが、15年継続したことで得られた副産物こそがピアノを習うということの意義なのではないかと、今では思う。


昨日も発表会のステージに立ち、改めてピアノって楽しいと思った。後輩の演奏に圧倒されたからもっと練習して、来年もステージに立ちたい。

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