夢を追うのに、才能も、年齢も、関係ない。プロサッカー選手を夢見てブラジルに渡ったEMC生の話。
誰しも、子どもの頃は「夢」を持っていたと思います。
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)にも、5歳でサッカーを始めて、以来「プロサッカー選手になりたい!」という夢を追いかけ続けている学生がいます。今回は、そんなEMC1年生・柴田 駿さんの挑戦をお届けします。
■5歳からサッカーひと筋の日々
柴田さんとサッカーの出会いは5歳の時。
「最初にサッカーを始めたのは幼稚園のスクールでした。その後、小学校2年生のときに地元のサッカークラブに入り、本格的にサッカーに取り組んできました。」(柴田さん)
この頃から、将来の夢はもちろん「サッカー選手」。
中学に進学するときは、家から近い中学校ではなく、遠くのサッカー強豪校を選んで進学。チームの顧問は、サッカー日本代表にも選ばれたことのある遠藤 航選手の恩師だったそうです。その指導の元、神奈川県大会のベスト8にもなりました。
しかし、高校はサッカー強豪校ではなく地元の高校に進学した柴田さん。
「当時から”プロになりたい”とは言っていましたが、具体的なことまで考えていなかったんですよね。進学した高校でもサッカー部に入りましたが、県内でも一番下のリーグに所属するチームでした。」(柴田さん)
■コロナ禍で見出した「夢を叶えること」の素晴らしさ
柴田さんが高校2年生の頃、新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るうようになります。授業もない、部活もできない、一日中家でゴロゴロして過ごす日々が続きます。
「何もすることがないので、ひたすらYou Tubeを見ていました。そこで、西野亮廣さんや、ROLANDさん、レペゼン地球さんなどが発信する動画と出会いました。彼らはみな同じように”好きなことをやろう! 夢を追いかけろ! ”と言っていました。
そこで、自分もじっくり考えたんです。自分が好きなのって、やっぱりサッカーだよな、自分はサッカー選手になりたいんだよな、って。そこで改めて真剣にプロを目指そうと思いました。」(柴田さん)
プロになる方法はいくつかありますが、高校大会で成果を出してプロチームからスカウトされるか、サッカーの強豪大学にスカウトされてプロチームへの道を切り拓く流れが一般的です。そこで柴田さんはサッカー強豪大学に進学することを目標に定めます。
高校男子サッカー部の頂点を決める大会に「全国高等学校サッカー選手権大会」があります。柴田さんは、この大会で活躍して強豪大学に自分のプレイをアピールしようと考えました。
ところが、事件が起きます。
「そこからが、自分の人生で一番辛い時期となります。インターハイ初戦で勝った直後、練習試合中に骨折したんです。しかも、怪我が治りかけたタイミングでまた骨折してしまいました。夢を追いかけると決めた直後に、ピッチにも立てない日々が続いてめちゃくちゃ泣きました。」(柴田さん)
結局、4月に怪我をしてから、ピッチに立てるようになるまでに3ヶ月以上かかったそうです。なんとか間に合って出場した全国高等学校サッカー選手権大会の予選第1回戦。得点したものの、チームは初戦敗退。柴田さんのところに強豪大学からスカウトが来ることはありませんでした。
「正直言って、自分はそこまでサッカーが上手くありませんでした。プロを目指す人の中で一番下手なのが自分だと思っていました。それを”面白い”と思う反面、”サッカーができなくなるくらいの怪我をしたらどうなるんだろう”と思った矢先の怪我でした。プロを目指すと決めたものの、実はまだ心のなかで迷いもあったんです。その迷いが引き起こした怪我なんじゃないかな、と今は思います。」(柴田さん)
■武蔵野EMCで再びプロサッカー選手を目指す
そんな柴田さんは、2022年4月に指定校推薦で武蔵野大学アントレプレナーシップ学部に進学します。
「強豪校からのスカウトはなかったので、自力で進学してサッカー部に所属するしかありません。高校3年の夏までサッカー一筋だった自分には指定校推薦しかないと考えました。さらに、強豪校のサッカー部には、指名された人しか入部できないチームも少なくありません。そこで、指定校かつ誰でも入れるサッカー部がある大学を探しました。」(柴田さん)
そこで、偶然武蔵野大学のことを知り、アントレプレナーシップ学部という聞き慣れない学部に興味を持った柴田さん。学部の公式You Tubeを見たところ、直感的に「ここだ!」と思ったそうです。
「なんて面白い学部だろうって思ったんです。そして、ここなら自分を変えることができると感じました。たとえば、自分は人前で話すことやプレゼンが苦手なのですが、EMCならそういうスキルが身につきそうだと思いました。あと、起業って面白そうだなと思いました。」(柴田さん)
そうしてEMCにやってきた柴田さん。
入学のオリエンテーションの自己紹介で「プロのサッカー選手を目指しています!」と自己紹介し、一気に注目を集めます。
■突然開いたブラジル行きの扉
EMCでは、1年次に各生徒に対してアドバイザーという形で担当教員が付きます。柴田さんの場合、佐藤 大吾さんがアドバイザーでした。その大吾さんは、なんとブラジルの元サッカー選手・エジミウソンさんと繋がりがあるとのこと。エジミウソンさんや仲間たちは、貧困のためにサッカーを続けることが困難な子どもたちを支援する団体「エジミウソンファンズ・アジア」を立ち上げていて、柴田さんはこの設立記者会見の運営を手伝うことになったのです。
記者会見終了後、ドキドキしながらエジミウソンさんの元に行き、プロサッカー選手になりたい気持ちを伝えた柴田さん。そんな柴田さんに対して、エジミウソンさんは笑顔で「ブラジルに来なよ!」と言ったそうです。
「エジミウソンが作った『FCスカブラジル』というチームがあって、そのチームへの留学プログラムがあるんです。渡航費を合わせるとかなりの金額になると思いますが、これまでもらったお年玉を全部貯金していたので、それをはたいて行くことにしました。」(柴田さん)
結局、「お年玉はまだとっておきなさい」と両親に言われた柴田さん。家族の助けを借り、EMCの仲間たちに応援され、7月30日にブラジルに向けて旅立ちました。
■留学期間終了。そのときに出た答え。
ブラジルに留学した15日間のことを振り返ると、柴田さんは満面の笑みで「楽しかったです!」と言います。
午前中はみっちりサッカーをして、午後は筋トレをして過ごす日々。現地には同年代の日本人も2名いて、そのうち1人は「FCスカブラジル」でプロとして活躍しているそうです。ポルトガル語を練習中の柴田さんは、この2人にサポートされながら現地の生活に溶け込んでいったそうです。
そしてあっという間に15日が過ぎました。
柴田さんはプロになれたのでしょうか。
「この挑戦が、プロになるための最後の挑戦という気持ちで臨んでいました。そして、”帰らないでほしい”と言われたら、プロを目指そうと決めていました。」(柴田さん)
ところが、出てきた答えは「ブラジルで全く通用しないわけではないが、今すぐプロになれるわけでもない」という、曖昧な結果でした。
「結論としては、今もどうするべきか悩んでいます。それに、ブラジルでの体験を通じて、”プロサッカー選手になりたい”のではなくて、”FCスカブラジルのチームに入りたい”と思うようになりました。そのくらい楽しくて素晴らしいチームだったんです。彼らの試合を見て、このピッチで一緒にプレイしたい、得点して一緒に抱き合いたい、と思いました。
じゃあ、EMCを辞めてブラジルに行くかというと、ここの授業も本当に楽しいんです。それにサッカー選手としてブラジルに行くにはビザの問題もあります。今回は留学生として短期で行ってきたので、練習生という形で長期で行く方法はないかを探しつつ、ポルトガル語の勉強をしながら、自分の道を模索しています。」(柴田さん)
柴田さんは、この経験を通じて他にも気づいたことがあると言います。
「海外では、若い選手でも活躍すると”代理人”が付いて、選手の代わりに様々なことを手配してくれます。でも、日本ではこういった立場の人はいません。そこで、エージェントについて学ぶことにしました。」(柴田さん)
■挑戦は終わらない。諦めない限り。
柴田さんには、ブラジルに旅立つときに恐れていたことがあるそうです。それは、挑戦したことによって自分の限界が明確になり、15年間大切にしていた夢が打ち砕かれて、何もなくなってしまうのではないか、ということです。
しかし、思い描いた結果ではなかったかもしれませんが、柴田さんは今も真剣にサッカーと向き合っています。
人は、年齢が上がって社会や自分について知るにつれて、「夢」を諦めて「現実」に即した選択をしていきがちです。
しかし、柴田さんの挑戦を通じて、夢を追うのに、才能も、年齢も、関係ない。諦めない限り夢は続いていくということに気づかされました。
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