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世界のトマト事情🍅(消費編)
むぅちゃんを筆頭に、世界中の人が愛してやまないトマト。
では、トマトは世界でどのように消費されているのでしょうか?
前回は、世界のトマト生産量ランキングを見ていきました。
今回は消費量ランキングを見ながら、世界のトマト事情をお勉強していけたらと考えています。
(気になる人は「生産編」も読んでみてくださいね)
読者のみなさんも、ぜひ一緒にトマトに詳しくなりましょう😊
世界のトマト消費量ランキング
今回、消費量の定義は「1人あたり年間消費量(kg)」としています。
2021年におけるFAOSTATのトマト生産量に関する統計結果を見ると、トマト消費量世界第1位はトルコであることが分かりました。
第10位までのランキングはご覧の通りです。
![](https://assets.st-note.com/img/1699839413281-Wd0xvVXRxK.png)
このランキングを見たむぅちゃんの反応👇
「「「え、イタリアがランク外なの…?(困惑)」」」
(イタリアは1人あたり年間消費量が25.55(kg)で世界第73位)
むぅちゃんはかねてよりトマトといえばイタリアというイメージを持っています。パスタもピザも、トマトをいっぱい使うではありませんか👀
では、なぜトルコが生産量1位になっているのでしょう?
そもそもトマトは歴史的にどのように食べられるようになってきたのでしょうか。
どうしてトマトが消費されるようになったのか?
①トマトの消費量が多い国は地中海周辺に多い。そして…
2021年におけるトマトの1人あたり年間消費量が多い国々をGoogle Mapで調べたところ、地中海周辺の国が多いことがわかりました👀
![](https://assets.st-note.com/img/1699926849406-QzGbGdrT8m.png?width=1200)
(FAOSTATトマト消費量ランキング上位10位中地中海に面する国々を赤枠にて表示)
「この位置関係…どこかで見たような…」
「そういえば、オスマン帝国の支配下ってこのあたりじゃなかったっけ」
![](https://assets.st-note.com/img/1699927140774-g6mSySnYz1.png?width=1200)
https://sekainorekisi.com/world_history/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%8B%A1%E5%A4%A7/#google_vignette
「トルコはもちろん、アルバニア・チュニジア・リビア・北マケドニアも過去にオスマン帝国の範囲内にあった国だ。何か関係あるのかな…?」
むぅちゃんは地図を見ながら、トマトの消費量の多さには歴史が関係しているのでは?と考え、調べ始めることにしました。
②かつてトマトは「食べ物」ではなかった
トマトは、もともと南アメリカに自生していました。
かつて、メキシコのアステカ族等が中心となり、南アメリカにおけるトマト栽培が行われていたようです。
その後、コロンブスの南アメリカ大陸発見を契機に、南アメリカとヨーロッパが繋がり、1519年にメキシコへ上陸したスペイン人エルナン・コルテスがその種を持ち帰ったとされています。
当時、トマトは「悪魔の実」や「毒リンゴ」とも呼ばれ、毒性がある植物だと信じられていました☠
理由としては、
①貴族が使う食器に鉛が多く含まれていたことで、トマトの酸味で漏出して人々が鉛中毒になったこと
②有毒植物であるベラドンナに似ていたこと
だったようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1699929653936-PJv3lQOKxu.png?width=1200)
(トマトと似ている有毒植物)
そのため、ヨーロッパではトマトは「観賞用植物」として親しまれ、貴族の庭等で栽培されていました。
③イタリアの貧困層がトマトを「食べ物」として再発見した
ヨーロッパで、トマトを「食べ物」として最初に食べたのは、イタリアの豪邸で働く庭師の青年であるとされています。
貧富の差が激しい時代、貧困層は食料不足にあえいでいました。
そのため、仕方なくトマトを食べてみたところ、害がなかったのです。
そこから、ヨーロッパでは食用トマトの品種改良が行われるようになり、18世紀頃、現在のものに近いトマトは食用として広まり始めました。
これにより、トマトソースやケチャップ等の食文化も生まれていきます。
また、イタリアを中心とした地中海沿岸地域は、温暖で夏は乾燥する「地中海性気候」であり、トマトの栽培に適していました。
そのため、地中海近郊では食用トマトの生産が盛んに行われるようになっていきました。
⑤オスマン帝国の宮廷料理にトマトが導入され始めた
オスマン帝国では、スルタン(支配者)が宮殿内にコックを1000人雇ったとも言われるほど、美食の文化がありました。
スルタンは行く先々で多様な食事と出会い、宮殿に持ち帰っては、コックたちにさまざまな料理を作らせていたといいます。
そんなオスマン帝国にトマトが導入されたのは、18世紀後半以降のことです。
イタリア等の国々からトマトの食べ方を紹介されると、オスマン帝国でもさまざまなレシピが開発されていきました。
トルコ料理におけるトマト消費に大きな影響を与えたのは「サルチャ」です。
サルチャは発酵されたトマトペーストで、日本で言うところの味噌のようなもの。
1kgのサルチャを作るのに、6kgのトマトを使用するため、トルコのトマト消費量を大きく押し上げる要因になっています。
サルチャは、煮込み料理やスープ、ディップなどのトルコ料理に欠かせない調味料となっています。
サルチャは保存食として優れており、夏に大量のトマトを収穫し、それぞれの家庭でサルチャに加工・保存することで、一年を通してサルチャを利用することができるようです。
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(缶詰のサルチャ)
オスマン帝国が解体すると、宮廷で雇われていたコックたちも自身の地元に戻り、飲食店を始めたといいます。
トルコのトマトを使ったレシピ
①パトゥルジャン・イマム・バユルドゥ
トルコ語で、パトゥルジャン=ナス、イマム=お坊さん、バユルドゥ=気絶。お坊さんが美味しすぎて気絶する程だった事から名付けられています。
トルコでは、トマト同様になすも多く食べられている欠かせない食材なので、セットで食べられることが多いようです🍆
なすの煮込み料理である「パトゥルジャン・イエメイ」にも、サルチャが使われています。
![](https://assets.st-note.com/img/1699933319162-8KnI25NRMF.png?width=1200)
https://www.sbfoods.co.jp/recipe/detail/09201.html
②ドマテス・ドルマ
ドマテス=トマト、ドルマ=詰め物料理のことです。
トルコ料理では、さまざまな野菜の中身をくり抜いて具を詰めたドルマが、お客様へのおもてなし料理として広く普及しています。
中でも、ドマテス・ドルマは、トマトの中身をくり抜いて、その中にピラフやお肉などを詰めて水やスープで煮たもの🍅
![](https://assets.st-note.com/img/1699933732791-b9cd3MUkcx.png?width=1200)
③イズミール・キョフテ
キョフテ=ひき肉を使った少しスパイシーなトルコ風肉団子のことです。
キョフテはケバブに並ぶトルコの代表的な肉料理で、ハンバーグ同様、一般の家庭で広く普及したレシピになっています。
イズミール・キョフテは、イズミール地方で広く食べられているレシピで、サルチャ等をベースにしたソースでキョフテを煮込んだ食べ方です。
![](https://assets.st-note.com/img/1699933659968-pwvb3PCWmh.png?width=1200)
https://turkish.jp/turkishfood/%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%83%95%E3%83%86/
トマトに秘められたストーリーを知る
いかがでしたでしょうか。
トマトが実は観賞用植物だったことや、オスマン帝国のシェフの話、トルコのトマト消費を押し上げた「サルチャ」についてなど、意外なストーリーをたくさん知ることができて、むぅちゃんはとっても満足です🍅
このノートをきっかけに、読者のみなさんも自分の食べているものの背景に興味を持ってもらえたら嬉しいです😊