無口な帽子の人にどこまでもついて行く。「フォロン展」感想文
細くて長い月の形をしたカバンを持った人が、こちらを見つめている。
ジャン=ミッシェル・フォロン。
どうしてか、その帽子の人を追いかけるべきだと感じた。
蒸し風呂のような夏日の午後だった。
頭から綿のワンピースをかぶって袖を通すと、クロックスのサンダルをつっかけ、東京駅丸の内駅舎内にある美術館〝東京ステーションギャラリー〟へ向かった。
空想旅行案内人に連れられて
東京駅丸の内口の旅行客の間をぬって〝東京ステーションギャラリー〟に到着すると、入口で月のカバンの彼に出迎えられた。
今回の展示のサブタイトル「空想旅行案内人」とは、フォロン本人が生前の名刺の肩書きに使っていた
〝Agence de voyages imaginaires〟
を意訳したものだという。
ふんわりとやわらかな色彩の中の案内人に、誰もが安心してついて行ってしまいそうだ。
シンプルではっきりとした青と赤の濃いめのカラーインクで描かれた作品。
大勢の帽子の人たちが充血したような目でこちらを向いている。
よく見ると彼らの目は、全て赤い唇なのだった。
これはユーモアなのか、暗喩なのか。
フォロンは彫刻も多く制作している。
この帽子の人は〝秘密〟をひた隠そうとしているのか、それともさらけ出す前なのか。
ブロンズで出来ているのに、表面の模様や凹凸で木製のように見えるのが不思議だ。
「1番目の考え」という、頭がクエスチョンマークになっている高さ30センチほどのブロンズ像があった。
頭がプロペラやスプーン、フォーク、ギター、植木鉢、野菜や動物、プレッツェルなどの形をしている像がそれぞれ「休め」の姿勢で立っている。
展示されていたのは15点ほどだったが、「63番目の考え」というタイトルの作品を見つけた。
一体何番目までの考えを制作したのだろう。
平面の作品に現れる鳥や船、帽子をかぶった
〝Little Hatted Man〟
この展示ではリトルハットマンと呼ばれるあの人も、立体となって空間に彫刻として立ち上がる。
フォロンの頭の中で平面と立体はスムーズにつながっているのだろう。
時には帽子をかぶった案内人に自らを投影させて、限りない想像の世界を自由に歩き回り、時には宙を飛びながら、見る者たちを誘い、問いかけてくる。
まるで手を取られて一緒に作品の中へ連れて行かれるかのようだ。
タイプライターで手紙をしたためる
オリベッティとは、イタリアの歴史的なタイプライターのことで、フォロンはそのポスターを手掛けている。
そもそもタイプライターというのは、指の力で押された部品がひとつの文字を受け持つ版の部品を動かし、ある程度の力強さでそこに挟まれた紙に印影をひと文字分ずつ着色する。
その繰り返しで単語が、文章が綴られていく。
ただし打ち間違えても引き返すことは出来ない。
最初からやり直すしかない、そんなアナログな機能を持つ愛すべきデザインの道具が、個人的にとても好きだ。
上の作品を拡大してみてほしい。
モノクロの線で描かれた、くすっと笑ってしまう、小さないたずらが隠されているようなドローイングは、生涯で生み出された豊かな色彩溢れる作品の原点でもある。
若き日のフォロンは、故郷ベルギーのブリュッセルからパリに渡ってから5年間、墨や鉛筆の黒い線をメインにしたドローイングを毎日ひたすら描き続けたそうだ。
それらは日常の風景に少しのスパイスとユーモアを加えてある。
座っているソファの輪郭が水槽になって小さな魚がいたり、小包が自ら紐の結び目を押さえていたり。
小気味よいアイデアに心が躍り、じっと見つめていると弟子入りしたい!という気持ちさえわいてくる。
展示の途中ではフォロンの制作した数分のアニメーション映像を見ることができる。
主人公はもちろんリトルハットマンである。
見知らぬ部屋で大きな機械を見つけると、そこにはひと文字ずつアルファベットがついたボタンがたくさん並んでいる。
リトルハットマンがボタンに乗ってみると、ガシャンとボタンが下がって大きな紙に文字が印字される。
全身を使って打つタイプライターでしたためた手紙を、夜空に飛ばす。
リトルハットマンが何人も現れて、両腕を広げて上下に動かしている。
その手は少しずつ伸びて、いつしか翼になる。
そして鳥のようにみんなで空を飛ぶ。
フォロンは小説の挿画も描いている。
すでに物語を抱えたような画風で、作家の紡いだ物語に絵を添えるのだから、稀少な化学反応がおこるのは確かなことだ。
タイプライターのオリベッティ社が非売品として発行したカフカの「変身」が、最初の挿画であるという。
レイ・ブラッドベリの「火星年代記」の挿画を手がけたときには、作品に感銘を受け自ら作家を訪ねて制作を申し出たのだそうだ。
もしかしたらフォロンの脳内で、言葉と絵が結びついた瞬間のスパークル、きらめく火花のようなものが見えたのかもしれない。
天体観測のモチーフを度々描くフォロンは、遥か遠くの惑星へもメッセージが届くと考えているようだ。
そして自分たちの立っている地球も惑星のひとつなのだと、さりげなく気づかせてくれる。
帽子を取ると頭に虹色のアップルが。
この絵に見覚えがあるのは気のせいだろうか。
アップル社のスティーブ・ジョブズはフォロンのファンで、ミスターマッキントッシュというキャラクターのデザインを依頼したそうだ。
事情はわからないが世に出ることはなく、作品名は無題となっていた。
物や道具に逆三角形の点や丸があると、目や口を持った顔に見えてしまうことをシミュラクラ現象というらしい。
フォロンが撮影した壁のコンセントや車のライト、家の窓とドアなど、とぼけたような可愛げのある顔にしか見えない〝物〟の写真が展示されていた。
顔に見えるコンセントなどの写真を自分も撮ることがあるので、かなりの親近感を覚えた。
フォロンの温かみのある色や筆使いは、見る人を穏やかで静かな気持ちにさせる。
登場する者たちの表情は控えめで、どちらかといえば笑顔は少なく、無表情に近いことが多い。
深く考え事をした人ほど、フォロンの作品からの視線を受け取るのかもしれない。
そして誰もが自由に空想して、思いついたストーリーを楽しむことができるのだ。
深い深い問題のことも
海に虹がかかり、鮮やかな色の魚たちが泳いでいると思いきや、これらは魚雷ミサイルなのだ。
この展覧会に来るまで、フォロンについてほとんど知らなかった。
フォロンは美しい色彩を使いながら、目を逸らしてはならない現実の社会問題についても正面から描いている。
核実験反対運動からはじまった環境保護団体グリーンピースとの仕事や、森林破壊を描いた作品が強く印象に残った。
ミサイルやドクロをモチーフにした作品では、血のような赤が多く使われている。
戦争や暴力を自分事として考え、この世界を諦めずにいたいのだ、その必要があると、強いメッセージが伝わってくる。
あんなに美しい朝焼けのように澄んだ色彩で描いていた世界を、地球上の風景を、人間がいつまでも傷つけ続けていることへの怒りと悲しみがこもっていた。
過去のインタビューなどで語られたフォロンの言葉が胸にしみる。
あらゆる人の基本的人権を世界ではじめて公式に認めた「世界人権宣言」は、1948年に採択されてから現在は500以上の言語に翻訳されている。
国際的なNGOのアムネスティ・インターナショナルが世界人権宣言を書籍として発行したとき、条文に合わせた挿画をなぜフォロンに依頼したのか、この展覧会を最後まで眺めればすぐ理解することができる。
日本語訳は谷川俊太郎さんで、ひとつひとつの条文をわかりやすく読むことができ、フォロンの絵は言葉ではないにもかかわらず、その条文がなぜ、いかに大切なのかを力強く訴えてくる。
喜びの光と悲しみの影
3階の展示室を出て、階段の踊り場で思わず立ちどまる。
旧館から移設されたステンドグラスと花のようなシャンデリアが、淡い光の中に浮かんでいた。
伴侶と出会って透明水彩の色彩を手に入れ、ニューヨークでも活躍した、フォロンの人生の輝きに思いを馳せる。
3階、2階の展示室から1階エントランスをつなぐ螺旋階段を見下ろす。
光があれば影もある。
ー1971年 長女カトリーヌが亡くなる
という記載を年譜で目にした。
4歳の子どもを失った深い悲しみと絶望はその後フォロンの人生から消えることはなく、2005年にこの世を去るまで常に共にあったのではないかと感じる。
カトリーヌが人生を歩むはずだったこの世界を、もっとしあわせで平和であれと願い続けたのかもしれない。
帽子をかぶったあの人は日常を観察し、表現し、人生を旅した。
たった一度の、かけがえのない人生という旅の、美しいスケッチを残して。
フォロン展のチラシは数種類用意されている。
丸い鏡か窓をのぞいているリトルハットマンが描かれている、雑誌〝the NewYorker〟の表紙を飾った水彩画「いつもとちがう」がお気に入りである。
人生という旅の終わりが来る日まで、今日とはちがう明日を思いながら、自分を、世界をよく観察し、そして表現しよう。
こっそりフォロンに弟子入りしたつもりになって、今夜もまた図録の最初のページをめくるのだった。
2025年、フォロン展は名古屋、大阪にも巡回する↓
最後までおつき合いいただき、
thank you so much!
ここまでお読みいただきありがとうございます。 思いのカケラが届きますように。