演劇を死ぬための道具にはしたくない
最近、演劇がなかったら死んでたんじゃないか、ってくらい嫌なことがあった。それは今でも続いていて、今でもずっと嫌で、でも死なないでいられるのは、演劇があるからなのかもしれない、と。
そこでふと思った。
「あたしは演劇を死ぬための道具にしてるんじゃないか?」
生と死はいつも対に存在している。
生きているということはいつかは死ぬということ。
死んでいるということはいつかは生きていたということ。
すなわち、演劇を死ぬための道具にしているとするならば、演劇を生きるための道具にしているとも考えられる。
でも、
言葉にするなら、
演劇を『生きるための道具』にしたい。
死ぬためじゃなくて、それがなかったら死ぬんじゃなくて、それがあるから生きている。それがあって、あたしは生きていられる。
演劇に対してなにか物事を考える時は、いつでもボジティブでありたい。前向き思考でありたい。いいものをつくりたいし、いいことを、考えていたいからだ。
演劇を死ぬための道具にはしたくない。
演劇を生きるための道具にしたい。