遺書をもっと濃くしてみたい
先日、早起きコミュニティ朝渋のイベントで書く習慣(いしかわゆきさん)のイベントが開催された。なぜ習慣化できないのか、どうすれば習慣化できるのかみたいな文脈のお話があった。
そのスピンオフで「書く習慣チャレンジプロジェクト」という企画がたちあがったので参加してみた。毎週お題がでてそれに沿ってnoteを書いていく3ヶ月企画。参加者は20人ぐらい。全員継続できたらいいな。
今回のお題。
1. 何のために書くのか。このグループに参加しようと思った理由を言語化してみよう。どんなモヤモヤがある?3ヶ月を通じてどうなりたい?
きっとこのプロジェクトは「書く習慣をつけよう」というコンセプトなのだけど自分は毎週note更新を3年弱続けていて、多分150週連続ぐらいで更新できている。だから習慣自体はできている。
自分が毎週更新できているモチベーションは遺書だと思って書いているから。いまは幼い子どもたちが文字が読めるようになって親父の名前でググったとき、なんかドキュメントでたらいいかなって思って。自分がこの世からいなくなっても文字が残ったらいいなと思って。もしかしたら孫もこの文章を読むかもしれない。自分はデジタル化されて残る祖先第一号になるのかな。だから遺書なのだ。
かしこまった遺書を書くことも考えたのだけど毎週気持ちはアップデートしてしまう。そして、いつ突然死んでしまうかもわからない。死ぬ間際に遺書をかけるかわからない。だから毎週感じたことをつらつらと残すことにした。心のアンテナが引っかかったところを残していく。その文献が溜まっていったら芯みたいなものが出来上がって、それを拾い集めたら遺書になると思った。
すでに習慣化しているし誰にシェアするわけでも無い。なのにこの企画に参加した理由はなんだろう。3ヶ月後、自分はどうなりたいのだろう。
3年間自由テーマで書いていると惰性で書いてしまって。内容が薄くなってきている感じがしてきた。もっと自分の心の奥底を刺激して濃い部分を言葉に残していきたい。今回の企画で毎回テーマがあるのはよさそうだ。今後、「プロフィールを作る」「仕事」「正確」「朝渋」「変化」「偏愛」などいままで向き合ってこなかったテーマがでてくる。これについて毎週向き合ったら新しい自分に気づけるかもしれない。そうしたらもっと濃い遺書が出来上がるかもしれない。
3ヶ月が楽しみだ。