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時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #05   石北本線

石北本線

石北本線(せきほくほんせん)
●概要
新旭川ー網走 234.0㎞
 網走ー浜網走(貨物支線) 1.3㎞ 廃止:昭和59年(1984年)
開業:昭和7年(1932年)全通
(開業当初は新旭川ー野付牛(現北見)が石北線、野付牛ー網走(旧)が網走本線)

石北本線

 石北本線は、大正1年(1912年)に野付牛(現北見)ー(網走(現))ー網走(旧)(のちの浜網走)53.75㎞が網走線(すぐに網走本線に改称)として開通したところから建設がスタートしました【①】。同時に、野付牛の反対方向には留辺蘂(るべしべ)まで22.85㎞が湧別軽便線として開業しました【②】。大正5年(1916年)には湧別軽便線は遠軽まで(37.5㎞)到達しますが、常紋トンネル【③】の工事では、タコ部屋労働者が人柱にされるなど、悲惨な工事を経ての到達でした。大正11年(1922年)にはのちの名寄本線の一部となる下湧別まで延伸し湧別線と改称されました。
 旭川側の工事は同じく大正11年(1922年)新旭川ー愛別25.91㎞が開業し石北線と命名されました【④】。昭和2年には遠軽側からも建設が始まり、遠軽ー丸瀬布(まるせっぷ)18.83㎞が開業、石北東線と命名されます。併せて石北線を、石北西線と改称しました。
 東線、西線ともに順次工事が進捗し、昭和7年(1932年)新旭川ー野付牛181.0㎞が全通、遠軽ー野付牛も含めて、全線で石北線を名乗るようになりました。同時に網走(現)ー網走(旧)0.8㎞の客扱いを廃止し、網走(旧)を浜網走に改称、昭和17年(1942年)には野付牛を北見にそれぞれ改称します。
 昭和36年(1961年)に路線名称の再編があり、網走本線、北見ー網走と網走ー浜網走(貨物扱い)を石北線に編入し石北本線と改称、新旭川ー網走234.0㎞と、現在の形となりました。
 その後、浜網走の駅の位置が変わったり、位置が変わったものの、昭和59年(1984年)には貨物支線としての役割を終え、廃止されたりしました。

大正14年路線図

《石北本線の開通がもたらしたもの》

 石北本線の開通により、それまで、旭川ー網走は名寄本線経由で10時間近くかかっていましたが、大幅に時間が短縮され7時間程度となり、網走方面連絡のスピードアップが図られました。それは、旅客だけでなく、北見地方の農産物を都心部へ運ぶスピードもあがり、大いに重宝したに違いありません。その重要性は現代まで引き継がれています。

昭和7年(1932年)10.1改正 時刻表
普通 網走行き(503)
函館発12時45分→札幌着22時7分→旭川着2時8分→網走着9時22分
連結車両 2.3等車 2等寝台車

石北本線の見所

旭川ー野付牛 昭和11年9月27日
(昭和天皇と別れて旭川ー野付牛に乗った時の記述)
 十一時過の汽車に乗る。野付牛に行く為である。汽車は段々山手にかゝる。落葉松の林、とゞ松、えぞ松の林、雑木はそろそろ黄ばみ始め、水は清らかにしみじみと北海道へ来たことを思ふ。川には岩魚がすむといふ

入江相政日記(朝日文庫)

・大雪山
 車窓から見える大雪山。中愛別ー愛山には大雪山を背景に石狩川を渡る上り列車を撮影する名スポットがあります。
・遠軽駅
 名寄本線が廃止になったことにより、遠軽駅はスイッチバック駅のような形になりました。遠軽駅のそばには遠軽駅を一望する撮影スポットがあります。

石北本線を走った優等列車
急行 大雪    函館ー網走(夜行列車もあり)
(平成4年(1992年)特急オホーツクに統合)
急行 石北    函館ー小樽ー網走(夜行列車)
(昭和43年(1968年)大雪に統合)
急行 はまなす  札幌ー網走
(昭和43年(1968年)大雪に統合)
急行 オホーツク 札幌ー網走ほか
(昭和47年(1972年)大雪に統合)
特急 オホーツク 札幌ー旭川ー網走
特急 大雪    旭川ー網走

特急 オホーツク
[使用写真]フリー素材 https://www.photo-ac.com/
撮影者:shonen_jさん

令和6年(2024年) 7月 時刻表
特急 オホーツク(71D)
札幌発6時52分→旭川着8時28分→網走着12時12分
(旭川ー網走3時間44分)

石北本線関係路線図(令和6年現在)
凡例:ピンク(現存),青(廃線)

相生線

相生線(あいおいせん)
●概要
美幌ー北見相生 36.8㎞ 
開業:大正14年(1925年)全通
廃止:昭和60年(1985年)→バス転換

 相生線は美幌から釧路までの間を結ぶ路線として計画されました。しかし、昭和6年(1931年)に釧網本線(せんもうほんせん)網走ー東釧路が全通し、北見相生までの区間で建設終了となりました。幹線としての役割を果たすことはできませんでしたが、沿線の豊富な木材資材を運ぶ貨物輸送が活発で昭和54年(1979年)頃まで行われていました。しかし、時代の流れにはかなわず、貨物輸送の廃止からわずか6年後、廃止条件である、①営業キロが30㎞以下の盲腸線(行き止まり線)かつ旅客輸送密度が2000人/日未満(石炭輸送量が72万t以上の路線は除く)、②営業キロが50㎞以下かつ旅客輸送密度が500人/日未満(411人/日)の②の条件に該当し、第一次特定地方交通線に認定されてしまいました。

石北本線の現在地

 石北本線は、旭川ー網走を結ぶ北海道内でも有数の大動脈として、旅客だけでなく、道東の農作物を輸送する貨物も走る、重要路線として機能しています。
 しかし、宗谷本線と同様、平成28年(2016年)発表の資料によると、輸送密度が200人/日以上2000人/日未満の路線となっており、JR北海道単独では維持することが困難な路線のひとつとして挙げられています。
 人口希薄地帯を通ることが多い北海道の路線は、JR各社の中ではJR四国と共に単独では経営が厳しく、JR貨物も含めた3社には、鉄道・運輸機構を通じて国が様々な支援を続けてきています。逆に言えば、国の援助がなければ独自で経営を維持していくことができないということです。北海道で今期待されているのは、北海道新幹線の札幌延伸です。札幌は北海道唯一の100万人都市であり、新幹線によりどこまで経済効果が見込めるのかは現在のところでは不透明ではありますが、少なからずよい影響を与えることは確かでしょう。だからといって、単独で維持することが困難な線区が生き残り続けることができるかは未知数であり、国、地方全体を含めて抜本的な制度改革を考えていかなければならない時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
 鉄道インフラは国家の大切な血管であり、背骨であることを十分認識した上で、よりよい方向で決断が下されることを切に望みます。

石北本線編 了


〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著 JTBパブリッシング
・日本鉄道旅行歴史地図帳 北海道 [監修]今尾恵介・原武史 日本鉄道旅行地図帳編集部[編] 新潮社
・鉄道ジャーナル 2021年4月号




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