時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #06 釧網本線
釧網本線
釧網本線の網走側は池田との間を結ぶ網走本線として、大正13年(1924年)網走ー北浜11.59㎞が開業したことから、建設がスタートしました。釧路側は昭和2年(1927年)、釧路ー標茶【①】48.12㎞が釧網線として開業しました。昭和4年(1929年)に網走側の斜里(現知床斜里)ー札鶴(現札弦)(さっつる)【②】19.63㎞が開業し、池田ー札鶴の網走本線が全通、釧路側からの工事も昭和6年(1931年)に札鶴に達し、釧網線も全通しました。その際、網走ー札鶴を釧網線に編入し、現在の釧網本線の原型が出来上がりました。そして、昭和11年(1937年)に釧網線を釧網本線に改称、釧網本線としての歴史がスタートしたのでした。
釧網本線を走った主な優等列車
急行 わこと 網走ー標茶ー釧路 (昭和41年(1966年)「しれとこ」に統合)
急行 くなしり 根室標津ー標茶ー釧路 (昭和43年(1968年)「しれとこ」に統合)
急行 しれとこ 北見・根室標津ー標茶ー釧路 (昭和61年(1986年)廃止)
釧網本線の見所
・釧路湿原【A】
釧路湿原ー茅沼 どこまでも広がる釧路湿原。冬にはタンチョウツルをみられることもあります。
・屈斜路カルデラ、摩周カルデラ【B】
美留和ー川湯温泉 屈斜路カルデラのアトサヌプリ(硫黄山)と摩周カルデラ外輪山の間を抜けますが、ここは活火山が線路に近接する日本屈指の区間です。
・オホーツク海【C】
知床斜里ー藻琴 厳冬期、沿岸一帯に押し寄せる流氷が観光客を魅了します。流氷としてはこの辺りが北半球でのほぼ南岸だそうです。
標津線・根北線
《人口希薄な地域に苦戦した路線たち》
標津線【③】は、交通不便な根釧原野(こんせんげんや)の開拓推進と、知床半島を横断して、斜里までの延伸を予定して建設されました。ただ、そもそもの沿線人口が少なく、農作物以外の貨物輸送も少なかったたため、昭和43年(1968年)には廃止も検討されました。単行のディーゼルカーが広大な大地をアップダウンしながら、一直線に走っていました。
しかし、輸送密度が590人/日と少なく、第二次特定地方交通線に指定され、輸送密度が2000人/日未満の路線は廃止という条件のもと、平成元年(1989年)に全線廃止となってしまいました。
根北線【④】は根室と北見を結ぶという壮大な計画のもと、昭和12年(1937年)から工事が着工されましたが、太平洋戦争で工事は中断となり、戦後の昭和32年(1957年)に斜里ー越川のみ開通しました。旅客・貨物共に少なく廃止2年前、昭和43年(1968年)の時刻表では、平日の旅客列車は朝夕夜の一日3往復となっていました。
釧網本線の現在地
ここまで紹介してきた路線たちと同様に、釧網本線も平成28年(2016年)発表の資料によると、輸送密度が200人/日以上2000人/日未満の路線となっており、JR北海道単独では維持することが困難な線区に挙げられています。
特に、人口希薄な道東のみを走る路線であり、苦戦するのは必定と思われる路線ではあります。しかし、人口が希薄イコール自然豊かな地域であり、釧網本線では、SLの復活運転や各種観光列車の運行で何とか盛り上げようと必死でもがいています。
なんとかその努力が実を結び、生きながらえてくれることを切に願いたいと思います。
釧網本線編 了
〔参考文献〕
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著 JTBパブリッシング
・日本鉄道旅行歴史地図帳 北海道 [監修]今尾恵介・原武史 日本鉄道旅行地図帳編集部[編] 新潮社
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