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時刻表に乗る vol.9

東京-大阪各駅停車の旅 No.7


7.米原-大阪 ~旅の終焉~
今回の旅の最終ランナーは米原発14時29分の快速(791T)網干行である。快速とは言え、草津から続く複々線の列車区間の各駅には停車するため、京都-西明石間の近郊列車区間(東京近郊の京浜東北線のような区間)と同様に、今回の普通列車旅での乗車に支障ないものとする。
 列車は223系8両編成で、米原駅の3番線ホームに停車していた。勢い余って、缶ビールとちょっとしたおつまみなどを購入してしまったが、関西の列車は転換クロスシートタイプの車両であるため、周りに気兼ねすることなく、飲食できるのが嬉しい。
 もっとも、匂いのきついものは厳禁であろうが…。

[使用写真]フリー素材 https://photock.jp/

●米原を定刻14時29分に発車し、貨物列車の電留線群を抜けると、彦根に到着する。
 彦根は、井伊彦根藩の城下町である。石田三成の居城であった佐和山も彦根城とは反対側にあり、豊臣政権、徳川政権共に、重臣中の重臣を配置する要衝であったのであろう。
 確かに地図をみるとこのあたりは琵琶湖と山がせった地形となって細い回廊ようになっており、ここを抑えておけば大軍が簡単には進めないであろうことが容易に想像できる。

彦根市拡大図
[使用マップ]国土地理院地図GSI Maps

 しばらく住宅街を走ると、田園風景も交じりはじめ、河瀬、能登川などに停車しては少しずつ客を拾ってゆく。

●14時52分、安土に到着。
 安土は、織田信長の居城、安土城があった土地である。車窓から見ても、城があった安土の山は相当な大きさである。ここに、地上6階地下1階の7階建ての絢爛豪華な天主がそびえていたことを想像するだけで、胸が高鳴る。
 彦根などと同じで、交通の要衝であり、かつ琵琶湖の水運も活用でき、京にも近いこの地を選んだ信長の戦略眼は天下を見据えた大きな視点からのものであったのであろう。

安土城表階段

●14時56分、近江八幡に到着。
 このあたりから、徐々に乗車してくる乗客が増えてくる。夕方から、京都・大阪あたりで友人たちとの約束があるのではないかと思われるような若者が増えてきた。
 街を外れると、田園風景が広がる。この辺りは、近江地方の穀倉地帯なのであろう。

安土近辺の田園風景

 野洲、守山、栗東と進んでいくと、田園風景は遠ざかり、マンションや住宅街が多くなってくる。時刻も15時を過ぎ、日差しもだいぶやわらかくなり、夕方の雰囲気が漂ってくる。

●15時13分、草津線の合流する草津に到着。ここからは、複々線となる。
 複々線とは、大都市部近郊で見かける配線で、同方向に進む列車の中でも、遅い各駅停車とスピードの速い特急列車などの走行する線路を分けているもので、要するに、同じ方向に向かうルートを1本ではなく2本に増やしたものである。
 そのことにより、名古屋近郊であったような、追い越し待避などが発生しないように線路容量を増やし、走らせる列車を多くすることを可能とする配線である。
 中でも草津-西明石間120.9kmにわたる複々線は日本一の長さであり、その歴史は古く、昭和4年(1929年)の茨木-吹田間、昭和8年(1966年)向日町-高槻間など、順次工事が行われ最終的に昭和45年(1970年)に完成している。
 当時の国鉄は全国規模でダイヤ設定を行っていたため、京阪神地区のみでのダイヤ作成は困難であったが、複々線の完成で、近郊電車専用の線路ができたことにより、国鉄の大阪鉄道管理局の主導で京阪神地区のダイヤ設定を行うことがやりやすくなった。
 さらに、この区間は、京都河原町-大阪梅田を結ぶ阪急電鉄や、京都三条京阪-大阪京橋を結ぶ京阪電鉄とのスピード競争が激しい区間であり、国鉄としても力を入れざるを得なかった区間であった。
 そのような事情があり、京阪神という地域を結ぶ各鉄道会社は互いにサービス面でしのぎを削りあって現在に至っているのである。

●山科を過ぎると、少し前を湖西線経由で金沢からやってきた特急サンダーバード24号大阪行が走っているのが見える。あちらも京都に停車し15時36分にもうすぐ終点で仕事が終わるぞといった軽やかな足取りで発車していった。当方は15時37分京都着、2分程停車してから、サンダーバードを追いかけて複々線外側の列車線に入る。
 夕暮れ時の京都は風情がある。在来線の車窓からはたくさんのものは見えないが、街の空気感が千年の都の特別さを感じさせる。時間があってもなくても近くまできたら立ち寄らないともったいないという感覚に陥る。何度でも訪れたい街の一つである。

東福寺

 京都では多くの乗降があり、車内の空気が一変する。客が多くなってきたので関西弁がよく聞こえるようになる。私は関東の人間なのでよくわからないが、同じ関西でも言葉の地域差があるようで、京都近辺には京都近辺の得も言われぬニュアンスがある。

●桂川の手前で、倉吉からやってきた特急スーパーはくと8号とすれ違う(すれ違いポイント①)。経由する因美線が非電化であるため、スーパーはくと号はディーゼル特急だ。

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 向日町を過ぎると、JR西日本吹田総合車両所京都支所、所謂向日町車庫が左手に広がる。特急型列車から、普通列車まで様々な車両が留置されており、鉄道模型が並んでいるように見えてきて、眺めているだけで楽しくなってくる。
 長岡京を過ぎると急に右手から山が迫ってくる。天王山である。左手側からは淀川も迫り、阪急京都線、東海道新幹線もこちらに寄り添ってくる。京の西の守りの要、山崎である。
 高槻でも多くの客の乗降があり、茨木を過ぎると、吹田の手前あたりで、JR西日本吹田総合車両所が左手に広がる。
 正面に東海道新幹線の大きな駅がかぶさって見える、新大阪に到着。次はいよいよ、今回の旅の終着点の大阪である。
 淀川にかかる大きな橋梁を渡り、正面に観覧車が見えてきた。そのまま、右側にカーブする。

●16時20分、今回の目的地である大阪に到着した。

 大阪駅のホームに降り立つと西日が差し込み、厳粛な雰囲気を醸し出している。大阪駅のホームに降り立った乗客の中で、東京から普通電車を乗り継いでここまで来た乗客など皆無であろう。そのような特別感が厳粛な雰囲気を感じさせるのかもしれない。

[使用写真]フリー素材 https://www.pakutaso.com/

 東京から11時間、長いようで短い旅であった。時刻表という列車の時刻を羅列した冊子の先に、これほど多くの人々が関わり、それぞれにドラマがあるのである。
 これから東京に戻るには新幹線を利用すればまだまだ時間はある。大阪で祝杯を挙げる店を探すため、大阪駅5番ホームをあとにした。


〔表記の分け方について〕
太字表記した部分については時刻表や地図帳などの事実に基づいた内容である。
※時刻表の羅列だけでは寂しいのでフィクションで私の行動や周囲の乗客の様子や風景を書き加えた。その部分は細字表記となっている。また、歴史的背景の描写や街の紹介などは事実に基づく内容である。その部分は時刻表には無関係のため、細字表記となっている。


【今回のマップ】

[使用マップ]国土地理院地図GSI Maps

【今回のダイヤ】
 791Tと特急スーパーはくと8号の交点である桂川駅周辺で両列車がすれ違うことがわかります。(すれ違いポイント①)

ダイヤグラム

〔次回予告〕
次回からは少し西のほうを旅してみたいと思います。こうご期待!!

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