時刻表に乗る番外編 路線あれこれ #08 根室本線②
池北線・広尾線・士幌線・白糠線
《開業したものの苦戦を強いられた各路線たち》
池北線(①)は、当初は網走と帯広を結ぶ「網走本線」として計画され、石北本線や釧網本線が開業するまでは、幹線としてその地位を維持していました。しかし、石北本線が全通すると、網走方面への経路は石北本線経由に移り、池田ー北見間を結ぶ池北線という、いち地方路線としての位置づけとされました。今回の4路線の中では唯一定期の急行列車が設定されるなど、池田ー北見の連絡路線として、重要な役割を果たしました。
しかし、経営は厳しく、平成元年(1989年)国鉄の廃止対象赤字路線であったものを、JRから継承し第三セクター鉄道、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線として生まれ変わりました。列車の増発や、施設改修による利便性の向上を図ったり、様々なイベントを開催し旅客誘致に奮闘しました。そんな努力はあったものの、赤字経営は続き、バブル崩壊のあおりも受け経営状態はさらに厳しくなり、平成18年(2006年)バスに転換され廃止されてしまいました。
広尾線(②)・士幌線(③)は同じ帯広を起点とするローカル線で、特に士幌線は石北本線上川までの延伸計画があり、道内の幹線ルートの一部になる可能性を持った路線でした。しかし、利用客が減少した糠平ー十勝三股は昭和53年(1978年)から列車の運行を休止し、バス代行による輸送を行っていました。
広尾線は、愛国駅や幸福駅など、縁起の良い名前の駅があることで、全国的に注目を集め、切符だけを買い求める客も多数発生しました。
両線とも、国鉄末期に第二次特定地方交通線(輸送密度が2000人/日以下)の路線とされ(広尾線(1098人/日)、士幌線(493人/日))、昭和62年(1987年)の3月に廃止となってしまいました。
白糠線(④)は昭和58年(1983年)に第一次特定地方交通線(①営業キロが30㎞以下の盲腸線(行き止まり線)かつ旅客輸送密度が2000人/日未満、②営業キロが50㎞以下かる旅客輸送密度が500人/日未満)の②の条件にあてはまり(33.1㎞、123人/日)指定第一号の路線となってしまい、廃止されました。
各路線を走った優等列車
池北線
急行 池北 帯広ー池田ー北見 昭和55年(1980年)廃止
幻の臨時列車
広尾線
急行 ひろお 帯広ー広尾 昭和36年(1961年)夏運行
士幌線
急行 しほろ 帯広ー十勝三股 昭和41年(1966年)夏運行
広尾線・士幌線
急行 大平原 広尾ー糠平 昭和42年(1967年)夏運行
根室本線の現在地
根室本線は、切り取る箇所によって事情が大きく異なります。札幌ー釧路を石勝線経由で特急おおぞらが走る区間は、札幌と帯広、釧路という道央から道東にかけての中心都市を繋ぐ路線であるため、経営の厳しいJR北海道の中でも、新得ー釧路に限って言えばJR北海道単独で維持可能な路線となっています。
しかし、平成28年(2016年)の資料による、輸送密度が200人/日未満の線区でJR北海道単独では維持が不可能な路線として挙げられていた、富良野ー新得は令和6年(2024年)に廃止となってしまい、旭川方面と帯広、釧路を結ぶ路線は分断されてしまいました。
また、富良野線(旭川ー富良野)、滝川ー富良野、釧路ー根室(花咲線)の2線区も輸送密度が200人/日以上2000人/日未満の線区に挙げられており、こちらもJR北海道単独では維持が困難な線区とされています。
北海道の路線体系の在り方については、今、真剣に考えていかなければ、人口減少の進むこの日本で、いずれは北海道だけの問題ではなくなってくることは明白です。
今、私にできることは、そのような現実があるんだよということを世の中に広く知ってもらうことだと考え、このような話をしています。できる限り多くの人たちで問題を共有し、何かできることはないのかと考えていくことが非常に大切であると思っています。
自然豊かな北海道を走る路線たちが、少しでも長く生きながらえることを今回も望みつつ、根室本線編を終了したいと思います。
根室本線編 了
〔参考文献〕
・JR時刻表2024 7月号 (株)交通新聞社
・全国鉄道地図帳 昭文社
・駅名来歴辞典 国鉄・JR・第三セクター編 石野哲著 JTBパブリッシング
・日本鉄道旅行歴史地図帳 北海道 [監修]今尾恵介・原武史 日本鉄道旅行地図帳編集部[編] 新潮社
・鉄道ジャーナル 2021年4月号